概要
1948年に中日スタヂアム(中日スタジアムではない。念のため)として作られた。
中日ドラゴンズが、実は愛知県名古屋市に本社を構える会社が親会社であるにもかかわらず、ホームゲームを名古屋以外で行うことがしばしばあったことから、「このままではだちかんがね」とばかりにその年の10月に着工、したのは良かったが、何と昼も夜もなく工事をやらかし、わずか2ヶ月後には開場してしまった。
とにかくとっとと作られたものだから、観客を収めるスタンドはなんと木造だった。
その結果・・・・・・・・・・・
1951年8月の惨劇
1951年8月19日昼4時過ぎ、ドラゴンズ対巨人戦の最中、バックネット席上段から出火、しかもまずいことに風が強く吹いていたばっかりに瞬く間に球場全体に燃え広がってしまい、全焼。しかも付近の民家4軒と工場の建物3棟も巻き添えを食って全焼してしまう。
これにより観客4人が焼死してしまった。さらに、確認された重軽傷者は318人に及ぶ。ただこれ以外にも、ロクに治療を受けられずに帰宅するハメになった重軽傷者も多数いた模様。
その原因は、タバコの火の不始末だった(が、これが単純なものでは無かった。詳細は外部リンクの方を参照に)。
なお、この火事に巻き込まれた観客の中に、後にドラゴンズの名セカンドとして、このナゴヤ球場(中日スタヂアム)狭しと大暴れした、高木守道がいた。
そして球場自体は、その後1から作り直され、1952年4月に完成した。
球場閉鎖!?
球場を運営していた会社は、岐阜県新穂高温泉で「中日ロッジ」なる旅館を経営していたが、そちらの経営は思わしくなかった。その弱みにつけ込まれ、手形がやたら金融市場に出回っていた。そのうちのひとつをめぐって詐欺事件が発生、結果1973年5月、運営会社が経営破綻してしまう。結果、球場は1972年プロ野球シーズン終了直後の東京スタジアムよろしく閉鎖されてしまう危険性があった。
だがその結果、誰かさんのような状態になることを恐れたドラゴンズは、破産管財人に土下座した上で、直接球場を管理することになった。これによって「ジプシー・ドラゴンズ」状態は回避されたのだった。
ただ、球団が直接球場を管理するのは難しいものがあったようで、結局東海銀行などの支援を受けた上で、新運営会社「ナゴヤ球場」が設立されたのだった。
ナゴヤドーム完成・開場後
1997年にナゴヤドームが完成・開場したことに伴い、このナゴヤ球場はドラゴンズのファームの本拠地として使われるようになり、現在に至る。
ネタ
- ドラゴンズだけでなく、年に数カード、近鉄バファローズもホームゲームを開催していた。
- 現在の最寄り駅はJRの尾頭橋駅と、先述の名鉄の山王駅(徒歩7分)だが、実はこの2駅よりも更に球場に近い場所に駅が設けられていた。その名もナゴヤ球場正門前駅。JR東海が管理し、球場での試合開催日だけ営業する臨時駅で、貨物線である名古屋港線に駅を設置していた。観戦客に評判がよかった上、地元住民からも常設駅への格上げを希望する声が強かったことから、JRは尾頭橋駅を常設駅として東海道本線に開業させた。これによりナゴヤ球場正門前駅は役目を終えたものの、今も当時の壁画が一部残っている。
- コンサート会場として使われることがあるのは、野球場では良くある話。だが、試合の無い時(特にオフシーズン)にはゴルフの練習場として使われたことがある、位ならまだしも、なんとサッカーの試合が行われたこともあった・・・・・・・。札幌ドームかよ。
- ガメラ対ギャオスでは、ギャオスが名古屋を襲撃した際の、市民の避難場所として登場。照明器具を活かして、光に弱いギャオスから市民を守り抜いた。