人物
身長174cm、体重58kg。初登場は時は18歳で、高校3年生。ガソリンスタンドでバイトをしていた。高校卒業後は運送会社に勤めている。
頭文字Dの主人公。
愛車は『ハチロク』の通称で知られるAE86型スプリンタートレノで、具体的には初期型1983年式GT-APEXのハッチバックタイプであるが、スペックの多くは明かされていない。ラリー用のクロスミッションが搭載されており、足回りにも文太によって手が加えられている。物語後半ではエンジンをAE111型のグループA仕様に換装しており、足回りもプロジェクトDによってチューニングされている。
なお厳密には物語の途中までは父・文太の愛車であり、走り屋なのに自分の車ではないことにやきもきしていた時期があった。
第一部では、群馬エリアで鳴らしていた高橋啓介を破ったことで名が知られるようになり、それ以降数多くの手強い相手に挑み、挑まれ、そして勝利し、「秋名のハチロク」の異名を轟かせた。
第二部では高橋涼介のチーム『プロジェクトD』入りし、ヒルクライム(上り)のエース高橋啓介に対して、拓海はダウンヒル(下り)のエースとして2枚看板を張り、関東制覇に貢献することとなる。
実力・評価
運転免許を所持していない中学生のころから、無免許運転で豆腐の配達を命じられて以来ずっと秋名山を走り込んでいるため、同年代のライバルより運転歴が長い。
また積んでいる豆腐を壊さない為に、紙コップに入れた水をこぼさない走りという訓練をこなしているため、車の荷重移動を駆使する技術にも長けている。
加えて配達帰りは「早く帰ろう」という思いで秋名の下りを攻めていたため、優れたブレーキング技術も身に付けている。
仕事である以上は年中走りこむ為、雨・雪など様々なコンディションも苦にしない。
すべてのコーナーをガードレールスレスレの四輪ドリフトで走破し、高橋涼介が提唱する「公道最速理論」の完成形に限りなく近いドライバーと言わしめるほど神業的なテクニックを持っている。
拓海本人曰く走る事は「顔を洗うのと同じ日常」であるという。
なおこうした拓海の経歴は、拓海が啓介を破るまでバイト先の仲間や友達は知らなかった。
ハチロク以外の運転は出来ないと語っているが、武内樹のAE85レビンで樹のレビンを馬鹿にしたナイトキッズのS13とSW20を溝落としでブチ抜く、池谷浩一郎のS13シルビアや塚本の180SXを初走行で本来のスペック以上のスピードで走らせてみせる、それまで乗ったことがないハイパワーターボの4WDである文太のインプレッサを初試乗ながらそれなりに走らせてしまうなど、コツさえ掴めばどんな車も乗りこなしてしまう天性のドライビングテクニックの持ち主である。その他、ハチロクが修理に出されてる間は軽トラで配達、運転をしている。
ハチロクを操るとさらに凄まじく、ガムテープデスマッチではすぐにコツを掴んで練習を積んだFF車を破る、コースをほとんど知らない状態で相手と互角以上に戦う、フロントタイヤを側溝の上を飛び越えさせてコーナリングする「側溝ショートカット」を実戦で2度も成功させるなど、人間離れした業を見せる。
高橋涼介によると、長年を共にしてきたハチロクと拓海が高いレベルの集中力で調和した時、他の車とドライバーならどうしてもオーバースピードの状況でも、拓海とハチロクの組み合わせなら行けてしまうという現象が起こるという。これを涼介は「藤原ゾーン」と呼んでいる。
しかしプロジェクトDではサーキットの常連やプロドライバーを含む強敵が続々登場したことから、電気を消す「ブラインドアタック」のような奇襲攻撃も用いるようになった。
序盤の展開としては、シルビアやランエボのようにハチロクより重くハイパワーな相手に対して、軽量さを生かしてタイヤの持ちや限界を超えるコーナリングで勝利するパターンが多かった。そのため坂本のカプチーノのような、逆にハチロクより軽いマシンの相手には苦戦を強いられたこともある。
5年以上走り込んできた秋名の下りでは無敗を誇っていたが、唯一文太の乗るインプレッサ相手に勝負を挑み完敗している。
秋名以外で拓海の実質負けとされているものは、
- 赤城山で須藤京一に抜かれた後ハチロクがエンジンブロー。
- 舘智幸に先行されたまま最終セクションに入った時、動物が飛び出してきたため舘が急ブレーキをかけ、その隙に抜き去って勝利。
- 『ゴッドアーム』こと城島俊也に大きく引き離された上溝落としのやりすぎでサスペンションを破損して必敗となったが、直後に城島が折からの体調不良で嘔吐しリタイア。
といったものがあり、いずれも敗北が見えた時点で何らかのトラブルが起きて勝利、あるいは水入りとなっている。またそれ以外にも、霧や雨などがなかったら勝てなかったかもしれないという勝負も少なくない。
このうち「ハチロクが負けた」とハッキリ作中で言われているのは京一戦のみであるが、これは拓海がコースを一回も走ったことがない状態でランエボに挑んでいたり、高橋兄弟から「あれは最初からバトルじゃない」、勝った京一すらも「オレはバトルをしたつもりはない」「勝負はあずけておいてやる」と言われるなど、結果はともかく内容的には負けとするには酷な部分はあった。
逆に高橋涼介戦や岩城清次戦のように、明らかに拓海が勝利したにもかかわらず、拓海のほうが「勝ったと思っていない」と吐露するケースもある。
性格
好きなものは新緑の季節とハチロクのおしりと昼寝で、嫌いなものは威張っている奴と負ける事と遊んでる女の子である。実際威張っている奴にキレるシーンは多いが、岩城清次にハチロクをバカにされたときだけは親友の武内樹の方が怒っていたので逆に冷静になっていた。
元々は運転は仕事の一環であったため面倒臭がっており、ハチロクをただの仕事用オンボロ車だとしか思っていなかった上に、車でバトルをするという発想自体もなかったが、峠を攻めて勝負をする走り屋たちの想いや言葉に感化され、徐々にハチロクに愛着がわき、走ること自体も楽しいと感じるようになっていく。
「走り屋はクルマで挑戦されたら 受けて立たなきゃいけないんだろ?」
また最初は車の知識も全然無く、樹が欲しい欲しいと騒ぐ「ハチロク」が自分の運転している車のことだということに気づかなかった(「トレノ」としか思っていなかった)。
容姿はクラスの女子から「かっこいい男子No.2」に選ばれたほどの顔。(佐藤真子曰く「癒し系の顔」)
本人は鈍感な上に奥手。ただし作中では2人も彼女が出来ている。また涼介の顔を見て赤面したこともあった。
一方で父親の影響から、中年男性に対するコンプレックスがある。
ぼんやりした性格で気力に乏しいが、一度決めた事は曲げないといった父親譲りの頑固さや負けず嫌いの一面も持っている。序盤の走り屋としての自覚が薄くバトルに乗り気でなかった時期、立花祐一はかつて文太を唆したのと同じ言い方で拓海を挑発し、中里毅とのバトルに向かわせたこともある。
また一度キレると何をやらかすかわからないタイプで、
- 高校時代には当初サッカー部に所属していたが、先輩・御木が当時部のマネージャーをしていた茂木なつきに手を出し、そのことを他の部員に自慢していることに腹を立て、自分の拳の骨が折れるほど殴り倒して退部となった。
- 庄司慎吾とのガムテープデスマッチでは、故意にぶつけられてスピンさせられたことに逆上、時にガードレールにぶつけながらの猛追を見せたが、怒りすぎて勝利後もぶつけたことを忘れていたほどであった。
- 茂木なつきが援助交際をしているのを見て激昂し自暴自棄になり、「行くつもりはない」と言っていたはずの須藤京一とのバトルに、コースの練習も一切せずに突っ込んでいった。
などのエピソードがある。
また作中では度々天然ボケやある種のサービス精神を発揮しており、史浩からも「大物」と評されている。以下がその例である。
- 先輩である池谷に頼まれ秋名の下りを走った際、わざとハチロクのバンパーをガードレールに接触させる。(しかも池谷の座る助手席側)
- プロジェクトD筑波遠征にて啓介と共に旅館に泊まった際、一人語る啓介をよそに爆睡。
- 寝起きでロフトから降りようとして、ハシゴを滑り落ちる。
- 取っておいた弁当のおかずを啓介に奪われる。
- 「インプレッサとFDで勝負したい」という啓介に対し、酔っ払いながら「インプレッサじゃ速すぎて勝負にならないれすよ」と煽る。
MFゴースト
事実上の続編となる「MFゴースト」においても存在が示唆されており、その後の拓海の様子が史浩達の会話中で語られている。
20歳でイギリスに渡り、現地のラリー競技に参戦。とりわけ舗装路(ターマック)で無類の強さを発揮し、3年目にしてタイトルを奪取。現地人から「フライングジャン(空飛ぶ日本人)」とまで評された。
その後トヨタとのプロ契約を結び、世界ラリー選手権にフル参戦。プロとしての道を歩み始めた矢先に、テスト走行中によるマシントラブルで谷底に転落し後遺症が残るほどの大怪我を負ってしまう。
これによりプロとしてのキャリアを絶たれてしまった拓海は一時消息を絶つが、レーシングスクール「RDRS」の講師に転職、片桐夏向を鍛え上げる。