レベルを上げて物理で殴ればいい
れべるをあげてぶつりでなぐればいい
元ネタ
2010年クソゲーオブザイヤーの大賞に輝いた腐朽の迷作『ラストリベリオン』の戦闘システムが、あまりにもあんまりであったために付けられた決め台詞である。
「レベルを上げて物理で殴る」という戦法は、RPGの基本中の基本である。よほど戦略性の高い特殊なシステムのゲームや、根気強いプレイヤーでない限り、レベルをロクに上げずに強敵に挑もうとするプレイヤーはあまりいない。
しかし、このゲームの場合は少し意味合いが異なる。
『ラストリベリオン』は淡々とプレイして淡々と売りにいくタイプのゲームとさえ言われる。
このゲームは、そもそもの戦闘システムが潔いほどつまらない。
複雑な属性ダメージをもつ魔法攻撃システムがあり、制作側のコンセプトとしては「ユーザーが試行錯誤して敵の弱点の属性を見つけ出す楽しさ」を重視していたようで、実際、レベルが自分たちよりも高い敵と出会うと、敵と相性のいいダメージ属性の魔法による攻撃を意識しないとあっという間に全滅してしまう。
しかし、このゲームはそのコンセプトを台無しにする過激すぎる成長バランスになってしまっている。
なんと、レベルを上げるごとにHPが上昇値ごと上がっていく。正確には単純にHP値を約1.1倍しているのだが、それだけで特にこれと言った補正はない為、掛け算の掛ける方が上がっていくのである。ヤミ金の利子か指数関数の如く。
レベル1で500だったHPが、レベル50になる頃には53000を超えている。
まさにチート。
そのため、「○○がたおせないよー!」という話になっても、敵と相性のいい魔法などを見つける工夫などまったくせずとも、単純に「レベルを上げて物理で殴ればいい」で全て解決することになる。なお属性魔法を使うにはまず敵を物理攻撃しなければならない為、別の攻め方をしようにも「物理で殴らざるを得ない」のである。
道具を揃え仲間を殺させなければ相当下手でない限り力押しできる、そういったぬるいゲームが最近のRPGの主流なのも確かだが、「レベルを上げて物理で殴ればいい」とまで言われてしまうとある種の侠気というか真理を垣間見た気分になれる。
参考のために書いておくが、『ラストリベリオン』には「店」という概念はない。アイテムを得る方法はただ宝箱を捜して装備品を漁るだけである。
やり込み要素も特にないため2010年クソゲーオブザイヤーの据え置きゲームハード部門では「バグなどの致命的な点はないが、褒められる点もどこにもない」いわゆるストロングスタイルのクソゲーとして堂々の大賞を獲得した。
ラストリベリオン以外のゲームに対して
クリアできて当たり前という昨今のゲームに対する皮肉として使われることがある。
(例:「○○が倒せないんだが?」 → 「こんな簡単なゲーム、レベルを上げて物理で殴ればいい」)
ファミコン時代のゲームは誰もが投げ出すような超絶難易度のゲームが多く、クリアするためにあれこれ試行錯誤する必要があったが、PS世代以降の多くのゲームは誰でもクリアできて当然と言うレベルにまで難易度が引き下げられ、深く考えずガンガン進むだけでもサクサク進めるようになった。そのため名作と言われるタイトルにもこの言葉が当てはまるゲームは多い。あえてプレイヤーに過剰なレベル上げをさせて、無双プレイでカタルシスを与えるという手法もある(例:魔界戦記ディスガイア、圧倒的遊戯ムゲンソウルズなど)
創作物に対して
頭脳を使わない、会話や心理描写や他人に共感する描写を省く、どんな出来事もテンプレ(お約束)で片付けてしまう、戦闘力、スリーサイズ(特に胸)、人気投票の票数、編集部内の権力、スポンサーの財力、見た目の魅力、知名度、3K、17歳教、髪の長さ、オトしてきた異性の数、数の暴力といった数字のみでキャラの価値を決めてしまうといった創作物を揶揄するときに使われることがある。
ただそうした創作物にも一定の需要があり、最初からそのつもりで作られた作品を純粋に好きで見ている層もいるので、安易にこの言葉を使うのはナンセンスである。
ピクシブでは
何故か『魔法少女まどか☆マギカ』のイラストが多い。……わけがわからなくはない。
だいたいマミさんが好きすぎる人とまどかタイタスのせい。
当然、ユーザーが高確率でまどかと同時に影響受けてるだろうこっちの魔「砲」少女のネタもあるのだが、
なぜかこっちは実際に物理的にも強い人たちは描かれていない。わけがわからないよ。
さらにコレ以降はもはや魔法=物理な状態に。どういうことなの・・・