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松岡洋右の編集履歴

2021-02-10 18:38:33 バージョン

松岡洋右

まつおかようすけ

戦前日本(大日本帝国)の外交官、政治家。A級戦犯の一人。ナチスドイツやイタリア王国と日独伊三国同盟を締結し日本を孤立化させた、太平洋戦争における日本側の最大の責任者とされている。

基礎データ


概要

戦前日本大日本帝国)の外交官政治家

1893年に、アメリカ合衆国留学のために渡米し、オレゴン大学卒業。このため、英語が堪能であり、自他ともに認める国際派として有名だった。


満州事変後の1933年国際連盟特別総会(ジュネーブ)に日本首席代表として出席、熱弁を振るったが、満州国が否認されたため退場した。

(これに伴い、日本国際連盟を脱退することになる。)


1935年満鉄南満州鉄道株式会社)の総裁となり、軍部と結んで華北侵略政策を進める。

1940年、第2次近衛文麿内閣の外相となり、ナチスドイツイタリア王国日独伊三国同盟を結び、1941年には日ソ中立条約を結んだ(のちに更迭されている。)。


敗戦後、東京裁判極東国際軍事裁判)でA級戦犯に指定され、1946年、獄中にて結核のため死亡した。


評価

戦前は民衆からの人気が高かったものの、戦後では近衛文麿東条英機などと並ぶ太平洋戦争の重大な責任者として、厳しく批判されている。

また、松岡は自意識過剰な性格だったようで、この点が昭和天皇米内光政などから批判されている。

ちなみに、近衛文麿首相に対して、松岡を罷免するように助言したのも昭和天皇である。


余談


関連タグ

外交官 政治家 A級戦犯 太平洋戦争 大東亜戦争 日独伊三国同盟 満州事変 満州 満州国 国際連盟 無能


関連が深い人物

東条英機 近衛文麿 広田弘毅 平沼騏一郎 重光葵 大川周明 永野修身 島田繁太郎 木戸幸一 昭和天皇 吉田茂 岸信介

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