概要
読んで字の如く、自意識が過剰な状態である様子、またそのような人を指す。
「俺かっけー!」と自分を過度に持ち上げ万能感に浸る意識や、「俺なんて…」と自分を過度に卑下し自己肯定が極端に低いといった感情は等しく「自意識が過剰」な状態である。はたから見ると概ね痛いと称される。日本では特に揶揄されることが多い。欧米だとあまりナルシシズムについては言及されないため、基本シャイな日本人の国民性である。
特に思春期から20代にかけ、多くの若者が患って通る道。年取って思い返して顔真っ赤という意味では健全なあるあるで、一種の通過儀礼とも言える。特にオタクはほぼ患って通る。なろう系や深夜アニメで「主人公最強もの」がもてはやされているのも、この自意識過剰の裏返しである。中二病とだいたい同義。主にナルシストキャラをわかりやすく表現するため、アニメやラノベにも多いキャラクター付けとなっている。
問題点
上記の「大なり小なり誰にでも当てはまる自意識過剰要素(中二病などのバーナム効果)」とは異なり、過激な症状になると、自分の外見や行動などが「他人からどう思われているか」などを必要以上に気にかけ注意をはらう傾向にあり、人前でスピーチをする時やSNSで発言する際などに、他者の反応を気にしすぎた結果、極度の緊張やあがり症の原因となる場合もある。この時に、自分の理想と他人の反応がかけ離れていた場合はトラウマに発展し、こじらせてコミュ障に至るケースも多いため、この「自意識過剰」とは、日常でうまく折り合いをつける必要がある。
実際に思春期の子供達に対して児童ポルノを目的として近付く数多の大人や異常者も少なくなく、これを気にする思春期たちは自意識過剰だけが問題ではなく、思春期たちの警戒心は正しいと言える。逆に、パパ活、ママ活などで大人を利用するクソガキどもも分かりやすく、同世代全員を巻き込もうとするクソガキもいる。
ドブスの癖に防犯対策をする女を自意識過剰扱いする人間もいるが、頭の中で呆れておけばいいだけであり、ドブスよりも逆差別全般を叩くのが望ましく、防犯するドブスなんかよりも痴漢冤罪のほうがよっぽど叩かれている。
一般的に「自意識過剰」と言われる人は、否定的な意味で捉えられることが殆どである。自分のことを「かわいい」とか「格好いい」と常に思っているプラスの過剰自意識であれ、「自分なんか」とか「どうせ」ばかり言うマイナスの過剰自意識であれ、他人ではなく自分ばかりを気にする行為は、単純に見ていて等しくウザいからである。それを逆手にとり、メーター振り切ることで自虐キャラやウザキャラを確立する人もいる。芸能人はこれがうまくいくパターンが多いが、一般人は難しい。
また、他人の「ちょっと気の利いた言動をする」「ちょっと目立った言動をする」「その場にいない大切な親友のためにプレゼントを用意する」「一瞬だけ目が合う」といった行為を「自分のためにやった」(=自分のライバルとして自分と張り合う目的でやった、自分に恋人として気に入られるためにやった)と決め付ける自信過剰な人も問題視されていて、酷いとそう勘違いさせる要素、倫理的な問題性、そうする必要性(例:幼児でも空腹でもないのに、相手が大切なイベント用に作ったあからさまに自分用ではないご馳走を面前で平気で完食して飄々とする)すらなく、相手が誰でも良く相手ではなく自分を立てる点から、「一目惚れ、萌え」とは別の心理だと言われていて、この性格こそが「本来の自意識過剰」なのかもしれず、自己投影、自己愛性人格障害、防衛機制、手段の目的化(自覚がないもの)との関係性も指摘されている。
一般人のバランスは難しいと書いたが、二次元の解釈には性格が出るものである。例えば、夢女子・夢男子と目的が同じなのに主人公(自分の分身)の姿が出ている作品にしか来ず、恋人役やサービス役が誰でも良く、バトルや冒険や同性親友との付き合いなどの恋愛以外の行動はどんなに簡単でも必ず飛ばす謎の人間や、エロ漫画でエロい女体だけがクローズアップされて美化されて竿役や触手が主人公補正も無しに消えると文句を言う謎の人間など。
pixivを含め創作全般に関して言えば、さほどの実績もないのにトップクリエイター気取りの人とか、自分の作品はジャンル全体に多大な影響を与えていると思い込んでいる人とか結構いる。
ちょっと「痛い人」で済んでいるうちはいいが、思い上がってトラブルを起こす人になると周りはたまったものではない。
一応なんらかの実績のあるプロのクリエイターであっても、実態以上に過大な自己評価をしていて、不遜な行動をとってトラブルを起こす、なんて人もたまーにいる。