概要
心理学用語としては、「実際は自分が相手に勝手に欲情したにもかかわらず『向こうが誘惑してきた』と認識を書き換えて自己正当化する」「強い劣等感を抱え自身を肯定できない人物が『周囲の連中はいつも自分を馬鹿にしている』と錯覚する」といった状態を指すもの。
インターネット上では「現実の他人やフィクションの登場人物を自分の分身、ひいては自分自身だと思い込むこと」といった意味で使われている。
防衛機制の種類としては好ましい対象と自身を重ねる「同一視」の要素を含むが、必ずしも対象の良い面ばかりを自分と繋げるものではなく、自覚している欠点や過去のトラウマと近しいものを介して対象と自分を繋げる場合もある。
よくあるトラブル
SNSで公開された対人関係の愚痴などに対し、無関係の第三者が「自分を馬鹿にされた」と感じて怒りをぶつけてくるケースは分かりやすい例。
特定の何かに強い嫌悪を抱いた時、逆に特定の何かを強く賛美したい時に「これを知った人は皆自分と同じ気持ちになる/なったに違いない」という考えを前提にして声を上げるのも「皆」を自分の分身扱いする自己投影である。(大抵は「それって『あなたの』感想ですよね」「勝手に代表者・代弁者面するな」と苦言が出る。)
また、フィクション内で特定のキャラクターが何らかの苦痛を強いられる描写があった際に、そのキャラのファンが事態の要因や加害者として提示された人物を過剰に非難したり、悪事に走った推しをファンが過剰に擁護したりする場合もファンの側の自己投影が絡んでいる場合が少なくない。
創作活動に持ち込んだ際はバランス感覚を誤れば「作者が自己投影したキャラがやたらと持ち上げられ、他のキャラの扱いが雑になる」「そのせいで話の中身が薄くなり、観客が興醒めする」「二次創作の場合雑に扱われたキャラのファンが憤り、場が荒れる」「終いにはジャンル自体の評価が落ちる」といった事態に繋がる。
更に、他者と自身を同一視して精神的充足を得る行為そのものが現実逃避として本人や周囲の実生活に支障をきたしてしまう危険を孕んでいるものという側面がある他、自己投影する側が実在する他者と自身を同一視するあまり対象の所有物や功績を自分のものであると公に言い張ったりその考えを実際の行動に反映したりすれば対象者に損害が生じ得る。例えば毒親問題の一つとしても、親が自身の果たせなかった理想や願望を我が子に押し付け「理想の自分の人生」を追体験するための駒として扱うというケースが度々取り上げられる。
加えて、自己投影の対象として入れ込んでいた相手が自身の意に沿わない行動を取った際に爆発的に憎悪を募らせ、相手を否定し攻撃する事例もある。
上記のことから「自己投影」という心理に否定的な印象を持ち、「自己投影は、自分と他者の区別も付けられない幼稚な人間や、他人を頼らずに安定していられる自立した自己を持たない弱い人間がすること」と考える人々は一定数存在する。
作品鑑賞や創作のスタンスとしても「客観視点を持って傍観者として作品を作る/楽しむことこそ高尚」「特定のジャンルの住人は自己投影しているので幼稚である」としてジャンル批判に用いられることがある。
しかしこれは、
- 作品のジャンルや出来栄え、キャラクター設定の形式・類型、感想の内容などによって他人を「自己投影している」「だから下等だ」と勝手に決めつけるのはレッテル貼りである。
- 実際に自己投影していても趣味に貴賤はなく、ジャンルやスタンスで人を決めつけたり、「不出来なもの・劣るもの」の代名詞扱いしたりするのは不当な差別である。
- 「物事を当事者の視点で見るよりも、当事者と親しくない第三者の視点で見る方が優れている」という説は個人の主観に過ぎず、根拠が無い。
- 自己投影とは他者を第三者視点で傍観して自分との共通点を見出した結果であるため、自己投影と第三者視点は必ずしも相反するものではない。
- 自身の経験や知識を元にして自分以外のことを想像する思考方法自体は普通であり、創作でも日常でも一切自己投影を使わずに物を考えられると思う方がおかしい。(第三者視点も人間が用いる以上結局は観測者の印象や価値観から切り離せない主観が混じる)
- 純粋な第三者視点であろうと自己投影であろうと、好きなものを見守るのは普通であり、嫌いなものに固執する方がおかしい。
- 人の好みや感覚は千差万別であり、他人の好きなものを「自分は気に入らないから」と存在否定し、まして「万人が嫌悪してしかるべきもの」として扱うのはおかしい。
など複数の問題がある。
別パターンとして、作者が主人公に自己投影し、自分と同様の価値観の読者が自己投影する前提で制作・発表した作品を、別の自己投影を目的とする第三者に改ざんされてしまう問題もあり、インターネット上では
- 主人公の性格を一種類に統一させられてしまう。
- 作者が主人公に設定していた人物と別の人物を主人公にされてしまう。
- 作者が主題にしていた要素と別の要素を主題にされてしまう。
- センシティブな要素を廃したマイルドな表現で描写した作品を、第三者の好みに合うように改ざんされ、性的部位や顔のパーツ等を極端に誇張したエログロ作品にされてしまう。
- 自己嫌悪・同族嫌悪・現実逃避とは別の理由で「見たくない・時間を割きたくない」と感じる絵・文章に改変・編集された。
といった事例が報告、問題視されている。当然だがこれらは作者がプロ・アマいずれであるかを問わず著作権侵害として法的問題になり得る。
また、商業編集者や読者コメントによる作家への
- 一方的な内容変更要求
- 設定やストーリー展開の押し付け(強要)
- 二転三転する変更要求
- 作品内容から想像した作者・対象読者の人格への誹謗中傷
などのハラスメントの報告例の中にも「作家をコントロールすることで作家の立場や成果を我が物にしようとする自己投影欲求」や「作品によって自身の後ろ暗い部分を刺激されたため作家や読者を悪者にして目を逸らす自己投影」が背景にあると思われるケースは散見される。
他にも、作者の実話や自己投影を含む作品を読者が「自分から見て自己投影できないから」という理由で「嘘」または「調査不足」扱いして根拠の提示を迫るといったトラブルもある。