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ファミリアの編集履歴

2021-02-24 11:33:15 バージョン

ファミリア

ふぁみりあ

ここではマツダが販売してきた乗用車を中心に取り上げる。

その他曖昧さ回避


概要

1963年10月に発売開始し、ライトバンが設定された。

当時はほかのライトバンと比較すると「貨客兼用より乗用に近い」と高く評価された。

1964年4月にステーションワゴンが追加され、さらにはピックアップトラックノッチバックセダンクーペもラインナップに加わった。


1967年11月に2代目が登場(ライトバンは1968年1月、クーペは同年6月)。

ロータリーエンジンの普及も視野に入れて、それが搭載されたクーペ「ファミリア・ロータリークーペ」やセダン「ファミリア・ロータリーS」シリーズが追加された。

1970年に「ファミリア・プレスト」と改名。


1973年に3代目に移行。

ただしライトバンとピックアップトラックに関しては、引き続き2代目販売された。

全幅拡大・フェイスリフトを実施、その際ロータリーエンジン搭載車を廃止した。また1976年には全車種のフェイスリフトを実施、今のCIロゴを採用した。


サイドデザインは2代目とほぼ同じであるが、2代目までは型式番号がモデルによってバラバラであった。

例えば2代目1,000ccセダンはSPB→SPC、1,000ccライトバンはBPBV→BPCV、ロータリーエンジン搭載車はM10Aである。

3代目はクーペとセダンに関してはFA3に統一した。


1977年に4代目に移行。

ハッチバックスタイルに一新したが駆動形式は引き続きFRを採用している。


海外のカーマニアの中にはロータリーエンジンに換装して魔改造した人もいたという。

ライトバンも移行したものの、ピックアップトラックは廃止された。

松竹映画幸せの黄色いハンカチ」にも登場した(メインイラスト)。


1980年にFFに切り替えた5代目が登場し、ノッチバックセダンも復活。

ただしライトバンは引き続き4代目を継続した。

広告キャラクターに北大路欣也がを起用。


1985年にライトバンもFFに転換した6代目が登場。

日本車初のフルタイム四輪駆動車や、オープンカー(カブリオレ)も追加し、車種の充実を図っている。

世界ラリー選手権にも参戦し、ラリー・スウェーデンで一度優勝を飾っている。


1989年に7代目に変更。

ただしライトバンは6代目のまま据え置き、1994年まで生産販売された。

3ドアハッチバックおよび5ドアハッチバッククーペのアスティナ、セダンという構成になった。

アスティナに関しては後述のエチュードの後継車として製造され、マツダの販売チャンネル拡大構想に基づきユーノスブランドの「ユーノス100」として発売された。


先代に引き続き世界ラリー選手権に参戦、1993年にはグループNカテゴリーでの総合優勝を飾っている。ただしマツダは経営難から1992年に世界ラリー選手権から撤退したため、1993年の栄冠はプライベートのチームによって達成したものであった。


1994年に8代目に移行。

ライトバンに関しては日産自動車からのOEM(ADバン)に変更。

自社生産は3ドアハッチバッククーペのNEOとセダンに絞り込んだ。

NEOは海外からの評判は良かったものの、日本ではデザインなどの問題もあってか販売不振となり、結果として2年で日本市場のラインナップから外れて3ドアハッチバックに置き換えられた。

なお3ドアハッチバックは海外市場でも販売されている。


1998年に9代目が登場。

ステーションワゴン(S-ワゴン)とセダンの2車種が発売された。


2004年4月をもって自社生産分の販売を終了した。

後継車はマツダ3(3代目までの日本名アクセラ)

ライトバンに関しては2007年に9代目に移行したが、2018年6月登場の10代目以降はトヨタのプロボックスのOEM仕様となった。


派生車種

グランドファミリア・1.3GL(STC)

1971年から1978年まで販売されていたファミリア(プレスト)の上級車種。クーペ、バン、セダンの3車種が存在した。

ただし「ファミリア」の名前がついているが、実際は初代サバンナレシプロエンジン仕様車であった。


マツダ エチュード イラスト

1987年から1990年まで発売されていた3ドアハッチバッククーペ。

ファミリア並みの走行性能を持っていたが、ベースとなったファミリアの陰に隠れて廃止となった。後継車はファミリアアスティナ。


オートラマフォードレーザー

フォードとの提携によって生まれた車種で、1981年から2000年まで販売された。

3代目(3ドアハッチバッククーペとセダンが設定されていた)以外はファミリアのOEMとなっていた。

ただし4代目のハッチバッククーペはヘッドライトの形がファミリアのNEOとは異なる。

また最終モデルの5代目は「レーザーリデア」と名乗った。


なお3代目は、2代目フォード・エスコートセダン&3ドアハッチバック(および2代目マーキュリー・トレーサーセダン)の日本仕様車であったりする。


追記

米国を除く海外ではマツダ323という名前で売られ、特にヨーロッパでは高い評価を受けた。

アメリカではマツダGLC→プロテジェのほか、2代目はマツダ1000、6代目のハッチバックとバン(のリアシートを座り心地の良い物に取り替えた物)は(初代)マーキュリー・トレーサーという名前で売られたことがある。


2代目のロータリーエンジン搭載車は海外ではマツダR100と言う名称で販売された。


外部リンク

マツダ公式サイト内「マツダの名車たち ファミリア(1963年~)」


関連項目

MAZDA 乗用車 商用車

アクセラ デミオ(マツダ2)

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