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夜間戦闘機の編集履歴

2021-03-15 22:25:13 バージョン

夜間戦闘機

やかんせんとうき

夜間に戦闘を行うための戦闘機。

夜間戦闘機とは、夜間に戦闘を行うための戦闘機

第二次世界大戦時に考案され、特に専用に開発された機を指す。夜間戦闘機はジェット化とともに全天候型航空機へと発展し、現代戦闘機のルーツの一つとなっている。


解説

夜間戦闘機の誕生

1930年代、航空技術の進歩により、爆撃機の航続距離が延び、随伴するための戦闘機の開発が求められた。

航続距離と安定性から双発戦闘機が適任と考えられたが、開発を進めるにつれ軽快な単発戦闘機とは空戦で勝負にならない事が分かった。可変ピッチプロペラや増槽の採用により単発戦闘機の航続距離も増し、双発戦闘機のメリットも少なくなった。

不要となった双発戦闘機は夜間戦闘用の戦闘機に転用されることとなる。


特徴

単座の戦闘機では情報処理、攻撃、操縦を一人でこなすため、夜間における運用は困難だった。しかし、機体の大きさやエンジン出力に余裕のある双発機ならば、複座化も容易であり、乗員の負担を軽減することが出来る。積載量も増し、まだ重かった航空機用レーダーも無理なく搭載できた。

既存の航空機を改装したもの、アメリカのP-61、ドイツのHe219Ta154のように最初から夜間戦闘機として開発されたものがあるが、アメリカ以外の殆どの国ではコストパフォーマンス的に新設計で新たな生産ラインで夜間戦闘機を生産する余裕は無く、既存の生産ラインを利用できる既存機の改良で留まっていた。事実、He219は生産数が少なく戦局にはさして役には立たずに終わっている。夜空にとけこむよう機体が暗色系で塗装されているものが多い。

日本ドイツでは夜間戦闘機用に、爆撃機を武装の少ない下方から攻撃するための斜めにセットした機銃が開発された。ドイツでは『シュレーゲムジーク【Schräge Musik】(斜めの音楽=ジャズの意)』、日本では陸軍が「上向き砲」、海軍は「斜銃」と呼称した(陸軍としては海軍の提案に反対である)。


対義語として「昼間戦闘機」という概念も生まれた。

なお、双発戦闘機としての弱点はそのままなので、昼間に出撃するのは自らやられに行くようなものだった。


その後

大戦中はその特異な能力から戦果をあげ、戦後もしばらくは一ジャンルとして存在した。

しかしレーダーを利用した火器管制の発達と、夜間のみならず悪天候や地域による気候差にも対応した全天候型戦闘機が登場すると、「夜間戦闘機」は吸収され姿を消した。


主な夜間戦闘機

日本軍

中島・「月光

1943年、ラバウル基地では米軍のB-17爆撃機による夜間爆撃に手を焼いていた。防御砲火が強力で、下手をすると迎撃にあがったゼロ戦ですら返り討ちにされてしまうのだ。

二五一空司令の小園安名中佐(当時)は斜め上向きに機銃を搭載し、敵爆撃機下を同航しつつ掃射する戦法を考案した。

小園中佐が「斜め銃」のテストベッドとして目をつけたのが「二式陸上偵察機」である。元々、「十三試双発陸上戦闘機」として開発されたのだが、運動性能に劣り戦闘機として使えないため偵察機として採用され、偵察機としても通用しなくなって格納庫でホコリを被っていたものである。

改造許可を求め、司令部に数度にわたる直談判を行ったが反応は冷たく、業を煮やした小園中佐は航空本部にも直談判を行い二式陸偵を改造する許可を得る。改造された機体の内、2機を二五一空が5月にラバウル基地に再進出した際に持ち込んだ。

5月21日、試験機は一晩に2機のB-17を撃墜し、その後も戦果を挙げ続けた。


戦果を知った海軍司令部の反応は早かった。

『月光』の制式名称が与えられ、二式陸上偵察機のすべては『月光』への改造が命じられ、生産もこの規格にあわせた上で再開された。

しかし、米軍は優勢になるとラバウル基地への夜間爆撃をやめたため、『月光』はその後、夜間偵察機として使用された。再び夜間戦闘機として使用されたのは、日本本土が空襲にさらされるようになった大戦末期である。

爆撃機以外にも夜間に機雷を敷設する小艦艇も攻撃の対象だった。

武装は20mm機関砲を上向き2門・下向き2門だが、軽量化のため使用頻度の少なかった下向き2門を外した機が多かった。11甲型からは上向きが3門に強化された。

十三試双発陸上戦闘機や二式陸上偵察機を改造した機体には、デファイアントのような動力銃塔を装備したものも試作された。一式陸攻や二式大艇などに搭載されていた動力銃塔を装備しており、夜間戦闘機など多くの任務にも対応できる機体と見られたが、重量や空力などの関係で性能に問題があり採用はされなかった。

我、撃墜2

イラストは既存の機から改造された「前期型」あるいは「段付き」と呼ばれるもの。これは無線手席をつぶして20mm機関砲を搭載し、外形はそのままである。再生産された機では平滑になっていて、識別のポイントである。


愛知・「彗星

戦闘機に準じる機体強度と高速性能を持っていたことから、「月光」の後継機とされた。機体後部に20mm機関砲を斜め銃として取り付けている。試製段階では30mm機関砲だった。

実戦では主に本土を空襲するB-29爆撃機の迎撃に用いられ、三〇二空、三三二空、三五二空等の本土防空部隊に配備された。

沖縄戦芙蓉部隊嘉手納飛行場を奪還すべく、周辺敵部隊に粘り強い夜間襲撃を仕掛けた。その中でP-61「ブラックウィドー」を一機撃墜したとされる。

夕立、のち出撃

イラストは彗星一二型を改造した『一二戊型(いちにぼがた)』で、大戦末期には彗星三三型を改造した『三三戊型(さんさんぼがた)』が開発され、少数だが実戦配備されたという。


川崎・二式複座戦闘機「屠龍

陸軍の双発戦闘機で昼間戦闘機としても使われた。当初は普通の重戦闘機(一撃離脱型の迎撃機)として使われていたが、海軍が斜銃で戦果を挙げると同様の武装を施すようになった。夜間戦闘機としては本土防空に使用された。

レーダー搭載型も試作されたが実用化できず、夜間接敵はパイロットの視力やサーチライトが頼りであり、それは他の日本軍夜間戦闘機も同様であった。

海軍では武装が斜め銃だけの機が多いが、陸軍では前方銃を残した機が多い。

本土防空


アメリカ軍

※当該項目に詳細があります。

ノースロップP-61「ブラックウィドー」

3人乗りで爆撃機並みの大型夜間戦闘機。戦闘爆撃機としても使用された。

高性能レーダーを搭載し、武装は背部の旋回式銃座に12.7mm機銃4挺、機体下部に前向きの20mm機関砲4門、720kg爆弾×4。

沖縄戦で芙蓉部隊に1機撃墜された。

ブラックウィドウ


ノースアメリカンF-82「ツインムスタング」

朝鮮戦争に投入された長距離護衛戦闘機で、P-51ムスタング」を左右に2機つなげてある。

夜間戦闘機型は右側のコクピットにレーダー手が乗り、主翼の下に増槽型のレーダーユニットをぶら下げている。

夜間のパトロールに使われ、朝鮮戦争での初撃墜を挙げたが、北朝鮮空軍の活動が低調だったため、その後の戦果はほとんどなかった。


グラマン・F6F-3N、F6F-5N

アメリカ海軍がグラマンF6Fヘルキャット」を改造し、右主翼下にレーダーユニットを増設して夜間戦闘機としたもの。レーダーはAN/APS-4(ウェスタン・エレクトリック社製)とAN/APS-6(スペリー社製)が使用された。

戦時中のアメリカ海軍唯一の夜間戦闘機で、空母搭載型夜間戦闘機。空母の何隻かは夜間戦闘機専門とされ、夜間に忍びよる日本攻撃機への迎撃に活躍した。

地獄猫が天国を飛ぶ。


イギリス軍

※当該項目に詳細があります。

ブリストル・「ボーファイター

戦闘雷撃機として開発されたが、高性能レーダーを搭載し夜間戦闘機としても運用された。

1940年11月にJu88爆撃機を撃墜し、初戦果を挙げた。夜間戦闘機の主力だったが、次第にモスキート夜戦に更新された。

ブリストル ボーファイター


※当該項目に詳細があります。

デ・ハビランド・「モスキート」NF

全木製の爆撃機モスキートの戦闘機型を夜間戦闘機としたもの。高速と重武装、高性能なレーダーを活かし、ドイツ夜間戦闘機を返り討ちにしてまわった。

センシティブな作品


※当該項目に詳細があります。

ボールトンポール・「デファイアント

銃塔が特徴的な戦闘機。夜間戦闘機としても運用された。

ボールトン・ポール「デファイアント.I 」戦闘機


ドイツ軍

※当該項目に詳細があります。

メッサーシュミットBf110(D-1/U1、E-1/U1、E-1/U2、F-4、G-4)

Messerschmitt Bf-110G-4

双発の重戦闘機、Bf110(Me110とも)にレーダーを搭載し、夜間戦闘機とした。武装も機首の30mm機関砲2門・20mm機関砲2門のいずれかに加え、「シュレーゲ・ムジーク」(斜め銃)も装備できるようになった。

増加した夜戦装備の重さと空気抵抗で英軍四発重爆に追いつけなくなり、1944年ごろからJu88に主力夜間戦闘機の座を譲った。


ユンカースJu88(スツーカ)

Junkers Ju88C-6

1940年から夜間戦闘機として投入されていたものの、本来の爆撃機としての生産に追われ、数が揃ったのは1944年からである。

設計が新しく、高出力のエンジンと大きな機体により、末期の主力夜間戦闘機となった。

武装は20mm機関砲4〜6門が基本だが、「シュレーゲ・ムジーク」を搭載した機もあった。最大速度はJu88 G-6で540km/h。


ハインケルHe219(ウーフー)

HE219

既存の機を改造した応急的な夜間戦闘機しかない事が憂慮され、最初から夜間戦闘機として設計された。

搭載予定だったDB603Gエンジンが実用化できず、性能で劣るDB603A、DB603AAを代用としたためHe219の大型の機体の運用には力不足だった。モデル末期のA-7型はDB603Eを搭載し最高速度585km/hを記録した。

1943年6月1日にアブロ・ランカスター5機を撃墜して華々しいデビューを飾り、デ・ハビランド・モスキートの撃墜も記録したが、全生産機数わずか268機では大局に影響を与えることはなかった。


ドルニエDo335A-6(プファイル)

大戦末期に開発された戦闘爆撃機。

制空権の無い状況での強攻爆撃を目的とするため、プロペラが機首と機尾の串状に構成された独特な機体。この設計のお陰で、並の双発型に無い運動性能を獲得している。その代わり減速が苦手。

その夜戦型で、計画止まりとなったがレーダーを搭載した「B-6」タイプ(イラスト参照)も考案された。



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