概要
日本海軍の夜間戦闘機月光や日本陸軍の重戦闘機屠龍などに搭載された機銃(機関砲)で、その名の通り、斜め上向きに備え付けた物である。以下本装備とする。
海軍では斜め銃(ななめじゅう)や斜銃(しゃじゅう)、陸軍では上向き砲(うわむきほう)と呼称が異なる。いつものアレ。
1942年当時、ラバウルに進出した海軍第251航空隊(旧台南海軍航空隊)はB-17の夜間空襲に苦しめられていた。航空隊司令の小園安名は「B-17の下面後方が弱点」であることを見抜き、本装備を中央に提案。より上位の第十一航空艦隊司令部も乗り気で、中央も採択した。小園みずからによる説明会では支持者はいなかったが反対も賛成もいない(とにかくやらせてみればいい)という雰囲気だったそうだ。とにかく、本装備を搭載した二式陸上偵察機(後の月光)での戦果は上々で、空襲を食い止めるほどの効果はなかったが、大型機に対する迎撃法が確立し、正式化された。これを見た陸軍航空本部や陸軍航空工廠がどう思ったかは分からないが、陸軍でも上向き砲と名前を変えて採用された。
その後はB-17やB-24の夜間爆撃だけでなく、B-29に対する本土防空戦でも活躍し、工藤重敏(本装備で初の撃墜をした海軍パイロット)や遠藤幸男(月光によるB-29撃墜王の海軍パイロット)、樫出勇(陸海軍合わせてB-29撃墜最多の陸軍パイロット)など、多数のエースパイロットを輩出する。米陸軍航空隊は徹底的に研究し、下面後方側の防御強化や護衛戦闘機の付随(硫黄島占領以降)がなされるも、その被害は終戦まで続いた。
ドイツにて
彼らも日本と同じく米英軍の重爆撃機には悩まされており、ルフトヴァッフェにもシュゲーレムジーク(直訳で「斜めの音楽」、ナチスがジャズを揶揄した表現であり、あまり良い表現ではない)という同様の装備が発案され、非常に大きな効果を上げた。日米がラバウルで戦っていた頃、すでに本土防空戦を行っていたドイツの方が先発で、日本の方が後発である(ただし、発案・設計についての関連性は一切ない)。
装備機体(計画・試作含む)
海軍機
- 二式陸上偵察機
後期型で装備。20mm2門
- 月光
前身の二式陸上偵察機後期型での装備がそのまま受け継がれた形である。各型で搭載数が異なる。20mm4門(月光一一型)
- 天雷
月光の後継となるはずだった試作戦闘機。6機が製造され、3・5・6号機(3号機は単座型、5・6号機は複座型)に装備。30mm2門
操縦席後部または胴体左側に本装備を搭載した、通称「零夜戦」が少数確認されている。五二型ベースが多い。20mm1門
戊型という夜間戦闘機に改修したタイプがある。20mm1門
烈風改という局地戦闘機型で装備する予定だった。30mm2門
陸軍機
後期型にあたる丙型丁装備以降から装備。20mm2門
- 四式戦闘機疾風
一型に装備した一型丁が試作されるも量産はされなかった。20mm1門
- 一〇〇式司令部偵察機
迎撃機型の三型乙+丙で装備。37mm1門