CV:日高のり子
演:神木隆之介(実写映画)
出身 | 相模国 |
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身長 | 163cm |
体重 | 51kg |
血液型 | AB |
十本刀の一人。”天剣”の宗次郎。
文久元年(1861年)9月生まれ。初登場時は16歳(満年齢)。
概要
志々雄の右腕且つ最初の側近であり、剣心に匹敵する剣の才を誇る。
天賦の剣才(略して「天剣)に、「楽」以外の感情がなく剣気や殺気の類を全く発しない「感情欠落」、目にも映らない超神速の移動術「縮地」を成し得る健脚を兼ね備えた十本刀最強の剣客。
人当たりは良いが、必要とあらば何食わぬ顔で人を殺す残酷さを持つ。善悪云々よりも志々雄真実の命令の方を絶対視するある種の狂信者であり、劇中でも一二を争う危険人物。
この「天剣」・「感情欠落」・「縮地」の3つの突出した能力を、志々雄は「毛利の三本矢」に例え、この三つが揃っている限り宗次郎はほぼ無敵の強さを誇ることを認めている。実際、全力を出さずとも剣心を圧倒している。『剣心皆伝』でも、「宗次郎が俺以外に敗れることなど考えられねえ」と志々雄から高く評価されている。
戦闘力の高さは作者がデザインした花札にて剣心、比古、斎藤、志々雄と並ぶ最強系の一人として二十点の札にされていることからもわかる(雪代縁は例外的に零点扱いとされている)。
剣心皆伝では戦闘力5・知識知恵3・精神力1・カリスマ3・個別能力スピード無限大とされている。
モデルは新撰組一番隊組長沖田総司であり、名前も総司の幼名に由来する。
人誅編など作中の回想に登場する沖田総司とも瓜二つの外見である(沖田のCVは日比野朱里が担当)
常にニコニコしているが、それは後述する生い立ちの影響で「喜怒哀楽」の「楽」以外を封印していったことが原因である。
さらに、志々雄の「所詮この世は弱肉強食 強ければ生き 弱ければ死ぬ」という言葉だけをこの世の絶対の真理と信じ、志々雄の最初の部下として共に明治政府を打倒し天下を取る闘いに臨んだ。作者曰く、宗次郎の忠義はカルト宗教の教祖を盲信しているのと同じであり、この狂信は宗次郎の強さであると同時に、自我が希薄で精神的な揺さぶりに弱いという弱点にも成っている。
薄幸の美少年キャラで人気が高い。愛刀は「菊一文字則宗」。
作品中に使った技は二つあり、一つは目にも映らない速さで動く超神速の移動術「縮地」。これはある程度手を抜いたものでも剣心を圧倒し、剣心からも「飛天御剣流よりも速い」と評されていた。
二つ目は宗次郎自身が名前を付けた「瞬天殺」。これは縮地から天剣の抜刀術に繋げる連続技である。破壊力では天翔龍閃に劣るが、彼曰く、「あまりの速さのため、先読みが全く意味をなさず、この技が決まれば痛みも感じずに一瞬で死ねる」というほどに速いスピードを誇る技。
その剣技は特定の流派によるものではなく、「天賦の才による剣」と評される通り自らの剣才のままに刀を振るう自己流の剣技と思われる。幼少期の剣技の心得もない頃に、志々雄から譲り受けた脇差一本で屈強な成人男性2名を含む一家(しかも一人は剣術の心得もあった)6人を瞬時に斬殺しており、この時点で既にかなりの剣才を発揮している。単純な剣の才能だけで言えば剣心以上の逸材だろう。これでもし飛天御剣流を学んでいたら物凄い剣客になったかもしれない・・・
略歴
大きな米問屋の主人の子として生まれたが、愛人の子であったために幼少の頃より家族や親戚に疎まれ、ひどい虐待を受けながら育つ。その過程で余計な怒りを買わないようにするために常に愛想笑いを浮かべるようになり、他の表情や感情を封印していった。
志々雄と出会ったのはこの頃で、政府の追手から逃亡中だった志々雄を米蔵の中に匿うことになり、彼から弱肉強食の真理を説かれると同時に宿賃代わりとして一振りの脇差を渡された。最初は脇差を返そうと思っていた宗次郎だったが、自分が志々雄を匿っていたことが家族にバレて殺されかけたことで、志々雄から渡された脇差で家族を皆殺しにしてしまう。この惨劇の後、宗次郎は志々雄についていくことを選び、彼の最初の部下となった。
明治11年5月14日には、志々雄の命令により、明治政府内務卿大久保利通の暗殺を遂行。これが宗次郎の初登場となる。
その後、東海地方の新月村で剣心と初めて直接対決し、抜刀術の打ち合いの末、剣心の逆刃刀を真っ二つに叩き折った。この時は志々雄から借りた長曽禰虎徹を使用している。このすぐ後に志々雄から悠久山安慈をはじめとする東日本に散らばる十本刀の招集を命じられた。
志々雄の本拠地での戦いでは愛刀の菊一文字を携え、剣心と再び激突。新月村での対決では見せなかった縮地で剣心を翻弄し、本来なら防御・回避ともに不可能とされる九頭龍閃すら躱して見せた。
しかし、「不殺」を貫く剣心をなかなか仕留めきれないことに苛立ちを覚え、弱肉強食の信念が徐々に揺らいでいき、封印していた感情が蘇ってしまったことで殺気を剣心に読まれて形勢を逆転される。更に、剣心の言葉で自分が家族を殺してしまったことを本当は後悔していたことを思い出し、錯乱してしまう。
何が正しいのか分からなくなった宗次郎は、自身の最強の技である「瞬天殺」で剣心に挑むが、天翔龍閃との破壊力の差によって敗北。
勝敗の結果から、剣心の言うことが正しいと思おうとするが、すぐさま剣心から「ただ強い者、戦いに勝った者が正しいというのは志々雄の論理!一度や二度の戦いで、真実の答えが出るくらいなら誰も生き方を間違ったりはせぬ!真実の答えは、おぬし自身がこれからの人生の中で見出すでござる!」(というよりもその答えは余りにも雲を掴むような話ゆえに、剣心や志々雄をもってしても教えようにも教えられないといったほうが正解)と諭された。
敗北後、駒形由美にかつて志々雄から貰った脇差を渡すとともに天翔龍閃の正体を伝え、志々雄の元を去ることを決意。剣心と志々雄の戦いに決着が着いた後、人生の答えを自分自身で見つける旅へ出た。
自身も修羅の一人として自覚している志々雄だが、宗次郎のことを「最強の修羅」と評している。
手加減していても剣心に反撃の機会すら与えなかったこと(ただし自分の方もなかなか剣心を仕留められなかったが)、更に感情が欠落した状態では剣心の先読みをほぼ無効化していたため、感情欠落さえ「不殺」によって崩壊していなければ剣心に勝てたとも考えられる。
ただし志々雄は宗次郎の敗北を告げられた際に「結局は誰も俺の強さについてはこれないというわけだ」と発言しており、宗次郎を破った剣心にも負けるとは全く考えていなかった。
志々雄は宗次郎の縮地を「目にも映らねえ速さ」と比喩的に表現したが、志々雄自身は超神速を見極める事は可能である(後述)。
また宗次郎自身も己が敗れた天翔龍閃を志々雄なら破れると述べたり(事実、前情報ありとはいえ、宗次郎を瞬天殺ごと粉砕した天翔初段を志々雄は防いだ)、修行により腕を上げた剣心と刀を交えても「まだまだ志々雄さんには到底敵う程じゃない」と評するなど、志々雄の実力に対しては絶対的な信頼を寄せていた事は間違いない。
作者は人誅編が終了した後にも連載が続いていたら、剣心達の仲間に宗次郎が加わり、『北海道編』なる構想があった事を明かしていたが、2017年9月からジャンプSQでその北海道編の連載が始まり、諸事情による中断を経て、再開されたあとの第11話に安慈とともに再登場した。
5年間の間に日本全国を行脚し、人生の答えを探す旅を続けていたが、やはりそう簡単に見つかるモノでも無く未だに思索の日々を送っていた。剣の腕前は少しも衰えておらず、彼をスカウトしにやって来た永倉新八とも互角に渡り合った。
剣心達と共に劍客兵器との戦いに加わるのを決めたのは何が正しいのかを見つけるための5年間の旅でも答えが見つかることはなく、ならば今度は剣心達と共に戦えば答えを見つけるための手掛かりを手に入れられるのではないかと思ってのことであった。
一方で志々雄真実に対する思いは少しも陰りを見せず、以前のように盲信こそしていないが「弱肉強食」の論理自体は間違っていないと認識している。志々雄真実に生まれ故郷を滅ぼされ親兄弟を殺された三島栄次から凄まじい憎悪を向けられるも、臆面も無く笑顔で謝るという罪悪感の欠落した側面を見せつけた。
実力
魚沼宇水と並び十本刀の二強とも、「十本刀最強の剣客」とも評される、志々雄本人を除けば志々雄一派の中で最強クラスの剣客。天賦の才による剣に由来する「天剣」の字の通り、剣心や斎藤のように名前のある固有技はほとんど使わず天衣無縫に剣を振るう。
また喜怒哀楽の内「楽」以外の感情を封じ込めている影響で、喜怒の感情に由来する「殺気」や「闘気」を持ち合わせておらず、そういった気の流れを読まれることが無いという特性も併せ持つ。これにより「気を読んで相手の行動の先を読む」という手段が通用しない。一流の剣客が各々持つ「剣気」も無いが、宗次郎自身も相手の剣気を感じ取ることが出来ないので、剣気を圧しつけての牽制も全く意味を成さない。その天衣無縫な剣も含めて極めて手の内の読み辛い剣客となっている。
剣才は剣心に匹敵するか、もしくはそれ以上かと思われるほどであり、初手合わせの時に真向から抜刀術で打ち合った際は、剣心の十八番である抜刀術で互角の剣速を見せつつ、技の切れにおいて剣心のそれを凌駕して剣心の逆刃刀を真っ二つに折ってしまった(ただし、自分の刀もボロボロになってしまった)。
斎藤の仲裁により「お互い戦闘不能で引き分け」とされたが、剣心自身は最も得意とする抜刀術の打ち合いで完敗を喫したと認識し、自身の力不足を痛感させられる出来事となった。
その後、剣心が修行により「抜刀斎に立ち戻らずとも全力を引き出せる」状態となり、志々雄のアジトで対決した際にもう一度抜刀術で打ち合うが、その時は逆に宗次郎の刀のほうがヒビを入れられてしまった。お互いの刀が超一流の業物同士でこの結果であったので、抜刀術に限れば剣心が一歩上を行っていた事が分かる。
超神速「縮地」
土地自体を縮めて相手との距離を無くすという仙術に由来する、「超高速の移動術」。
作中では剣心の「神速」を超える速度で移動する技として登場し、そこに感情の動きを察知されない「感情欠落」が加わることで宗次郎の強さを無敵のものにしていた。
縮地には段階的に速さを変える事が可能らしく、本気の縮地の「三歩手前」で既に、左之助の目には剣心の神速よりもわずかに速く映っていた。そして「二歩手前」で完全に剣心の速さを凌駕し、九頭龍閃ですらこの二歩手前の状態で回避してしまった(これを剣心は「飛天御剣流よりも速い」と評した。本気の比古清十郎の九頭龍閃ですら「神速」止まりである)。
「一歩手前」では地上での移動だけでなく空中移動でも動きが見えなくなる。横方向だけでなく縦も絡めた文字通り縦横無尽の高速移動で剣心を包囲するように動き、剣心は機動力を完全に封じられてもはや受けに徹するしか出来なくなった。だが作中ではこの一歩手前を披露する時に封じていた「楽」以外の感情が揺れ動き始め、それを感じ取った剣心によって動きを見極められてしまった。
剣心との戦いでは「感情欠落」が機能した状態で本気の縮地を使用することは無かったため、果たして最初から宗次郎が本気で剣心と戦っていたらどうなっていたのか・・・
後に「北海道編」にて再登場した際、宗次郎は自分の縮地を「破れる人」「実際に破った人」「刺し違えても破りそうな人」と3人を挙げ、名前を出してはいないが「実際に破った」のは剣心、「破れる人」は志々雄の事であると思われる。
志々雄はスピンオフ作品「炎を統べる」にて、宗次郎が子供たちとのかくれんぼで「縮地」を使用した際、即座に宗次郎の隠れ場所を看破しており、宗次郎の気を読まれない特性を考えれば志々雄は「縮地」の速さを見極められるという事が分かった。この時宗次郎が縮地を使用した際「描き文字の字体」、「集中線の入れ方」、「移動する際に足音が全くしない」など、宗次郎が本編中で本気の縮地を使用した際の演出を踏襲しており、宗次郎が本気で動いている事を窺わせている(一歩手前以下では足音が出る)。
「刺し違えても破りそうな人」については解釈が分かれるところだが、そのあとの台詞(縮地の三歩手前を回避して見せた相手に対して)で「あなたは幕末の生き残りですね」と確信しているので、その対象者も恐らく同じ「幕末の生き残り」である可能性が高い。宗次郎と面識のある人間で該当するとすれば、斎藤一か、四乃森蒼紫であろうか。
ちなみに、縮地は初めから宗次郎の能力として設定されていたわけではなく、いざ最終戦で戦わせる段になって宗次郎の戦闘法について作者が悩んでいたところ、大久保暗殺の際に走行中の馬車に追いついた事を思い出し「そういえばアイツ脚速いよなあ」と思い至って追加されたという経緯がある。
実写映画
映画2作目の『京都大火編』に登場する。
配役は神木隆之介が担当。
元々のファンからの間でも、幼さが残る天才肌という設定上から神木を推す声が多かった。
また、アニメ版で声を担当していた日高のり子も、「実写化するなら神木隆之介が良い」と周囲に度々語っていたそうで、その配役が現実のものとなった時には非常に驚いたという。
ちなみに神木本人も宗次郎ファンであり、オファーを受けた際には「奇跡だ」と驚いていたらしい。
剣心よりも速いとされる脚の速さもしっかり再現され、剣心よりも遅れて走り出しても剣心を悠々と追いぬき、一撃を加えるという描写が見られる。「天剣」らしい天衣無縫な剣捌きも健在。
ただし、『伝説の最期編』では最終決戦の場面以外にほとんど出番がなく、人物描写の部分でやや消化不良のところも見られた。
The Final
『伝説の最期編』にて轟沈する煉獄に取り残されていたと思われたため、一部では生死不明と思われていたが、完結編『The Final』にてまさかの再登場を果たした。
『The Final』の原作である『人誅編』には宗次郎は登場しないので、映画オリジナルのサプライズ出演。故に今回のトレーラー公開まで宗次郎=神木隆之介の出演は上映開始当初一切伏せられていた。
活躍についてはネタバレになるので割愛するが、伝説の最期編での消化不良感をある程度解消する内容となっている。
余談
同作者の漫画『エンバーミング』のキャラクター、レイス=アレンのモデルとなっている。
また格闘ゲーム「THE KING OF FIGHTERS」シリーズのキャラクターの一人であるクリスは「笑顔で人を殺せる」と頃や年代が近いことなどからファンの間では宗次郎がモデルなのではといわれることがある。
なおSNKの公式回答は「クリスにはモデルはいない」である。
SNKとるろうに剣心作者の和月伸宏氏は互いにキャラクターのパロディ、オマージュを繰り返しているためこのようなファンの推測を呼んだと思われる。