「幕末の動乱を経て時代は明治となった」
「しかし、その急な変革に人心は乱れ腐敗し、救えぬ者が世にはあふれ過ぎた」
「救われなくばならぬ者を救うため」
「今こそ救えぬ者に罰を与えねばならない」
「その為に私は十本刀“明王の安慈”に―――――」
「人に罰を下す憤怒の化身、不動明王になることを受け入れたのだ!」
概要
”明王”の安慈。
宗次郎や宇水に次ぐ十本刀の三番手の強者。文字通り万物を砕く人知を超えた破壊力を有し、特に必殺の鉄拳は防げるものなど(多分)存在しないなど凄まじいを通り越した奇跡とも言えるような肉体能力を体現しており、志々雄からは実力を高く評価されていた。
彼の筋肉は、ありとあらゆる「痛み」「悲しみ」「怒り」「使命感」「救われと平和への願い」の結晶である(拝借表現)。また、彼の知性が筋肉と合致したからこそ「明王たる力」の体現へと繋がり、最終的にはそれが求世への駆け橋となったのである。
ある意味では、人外のような力を会得できたことも御仏の奇跡とも捉えられるのが皮肉ではある……(理由は後述)。
後述の過去から来る怒りと、救世への渇望から来る激情を除けば礼儀正しく、温厚な性格は変わっておらず、左之助との初対面の時には道に迷った彼と肩を並べて食事して、彼の軽口にも律儀に返している。
名は体を現し、「悠久山安慈」の法号も実に彼にふさわしいと言えよう。
心中に強い慈愛を抱く心優しき良識人であり、志々雄一派に所属したあともその優しさは失われておらず、特に未来ある命が危機にさらされかけた時にその優しさが顔をのぞかす。
経歴
北海道(蝦夷地)出身。元々は東北地方のある村に寺を構え、戊辰戦争で身寄りを失った子供たちの面倒を見る線の細い心優しき僧侶だった。
廃仏毀釈によって寺を去ることになったが、その引越しの前、明治政府への協力を口実とする村長の私欲から寺は焼かれ、滝行で心身を清めて寺を離れていた安慈自身は放火に気付いて子供達を救助しようと寺に戻ろうとしたした背後から殴られ気絶(村長一味には死亡したと思われていた)させられる。
薄れゆく意識の中、安慈は親を亡くしつらい目に遭ってきた子供たちにはこれからの未来がある、だから救ってほしいと必死に願うが…
目を覚ました安慈の目の前にあったのは無残に焼けた寺、そして子供たちの遺体であった。
(この時、対比の様に、壊れるでもなく原型を保ち輝きを放ち続ける(スス汚れ程度はある)仏像が映っており、安慈はそれを殴りつけている)
「御仏よ…何故この子たちを見捨てたのか」枯れ果てそうなほどの滂沱の涙と共に、やり場のない怒りと悲しみに慟哭する安慈だったが、子供たちの一人である椿の言葉を思い出していた。
「怒る時は心を鬼にしてしっかり怒らなきゃ! 和尚様は只でさえ人一倍優しい顔つきなんだから」
椿の遺体に手を合わせた安慈はそれまでの優しい顔つきから一変する…。それは「心を鬼にした和尚」ではなく「鬼の心になった破戒僧」のものであった。
この悲劇の絶望によって、祈りや慈悲の心だけでは心正しき者は救われないことを痛感。
こうして「優しく温厚な安慈和尚」は「明王の安慈」へと変貌したのであった。
常に鋭く威圧感を湛えた目の下の隈のようなものは、預かっていた子供の一人(椿)の焼け焦げた死体のススを塗り付けたもの。また身に着けている数珠は、椿の形見。
以後己の体を鍛え上げ、それまでの細身の体から鎧の如き筋肉を纏った巨漢に変貌した安慈は事件の5年後、子供たちを殺した村長一味を惨殺。命乞いする村長に対して合掌によって頭部を潰した。
そして破壊の極意「二重の極み」を10年かけて会得し、全身のあらゆる箇所を攻撃に転用してあらゆるものを文字通り粉砕する力を身につけ、邪悪な者を滅する憤怒に満ちた破戒僧(というよりも破壊僧)となる。さらに、腐敗した世の中の元凶と見て、「救世」のため、明治政府の打倒も志すようになる。
破戒僧となった事件以来、信心は失ったが救世の心は失っておらず、志々雄曰く「十本刀中最も情け深い」と精神性を評価されている。無益な殺生は好まず(旧アニメ版では、例え目的のためとは言え人を殺めた事実を子供達の霊に懺悔しており、逆に実写映画版では殺人を重ねる場面もあった)、普段の口調は紳士的など(一人称は私)、破門はしたものの敬虔な僧侶としての根本的な部分は失っていない様。一派の者に対しては「〜殿」と呼ぶ。自分の部屋「衆合の間」には巨大な不動明王像を安置している。
志々雄の配下となったのは利害の一致からだが、その際には「例え殺害の指示をくだされてもそれを実行に移すかどうかは安慈が決めていい」という生殺与奪の権利を条件に提示し、認められている他、志々雄が明治政府を破壊した後の世界が自らの救世にそぐわない場合には、反旗を翻すつもりだった。志々雄の方はそれに気づいていたのか定かではないが、安慈の情け深さを理由に顔見知りである左之助との
戦いで手心を加えるのではないかと危惧する由美に対して、十本刀一の情け深さとそれを上回る憤怒と救世達成の使命感で動いていることを理由にその心配はいらないと言い切っている。実際、当初こそ左之助の抹殺命令を聞かずに見逃そうとしたが、戦いが避けられないとなると一切の容赦もない戦いぶりを見せつけている。
左之助との奇縁
剣心を追いかけて京都への道中の左之助と出会い、力を求める左之助に「二重の極み」を伝授したその人である。その後京都で再会し、互いに「敵」であったことに驚きつつも闘う。左之助との壮絶な拳の語らいの末、己の救世という暴走が、最も大切に思っていた子供たちをも苦しめているということを悟り、敗北を認める。
一派壊滅後は方治を救出し、警察に出頭。あくまで罪に服することを希望して明治政府のもとで働くなら減刑するという裏取引の誘いは拒絶するも剣心たちの嘆願(志々雄の拠点の一つを統治していた尖角が死刑確定だったが、それ以上に安慈は明治政府の失敗した施策の被害者であり、明治政府を恨んでも仕方ない=明治政府の正当性を揺るがす存在なので、処刑したかった可能性は高い)によって極刑は免れ、懲役25年の実刑判決となり、北海道の集治監に服役する。
その後
本来なら、本編終了後の北海道編にて、破軍の不二と共に助っ人として再登場する予定だった。
そして、北海道編が公式にスタートしたことで、彼ら巨雄達の勇姿を拝めることができる様になった。
劍客兵器による樺戸集治監襲撃の前日に永倉新八と共に、函館に向かっていた。函館に向かう途中で事前に動向を知っていた宗次郎を加えようとしており、自身が宗次郎の説得を行おうとしていたが、永倉から結託されると面倒だからと言われたことで、永倉に宗次郎の説得を任せたが、宗次郎が永倉からの説得を拒んだことで戦いとなり、互いに本気となりかけ宗次郎と永倉の戦闘が激化しそうとなると、戦いに介入して、二重の極みで宗次郎が賊から奪った刀を破壊し戦闘を終わらせた。
安慈の姿を見た宗次郎からは京都以来の5年ぶりの再会を喜ばれ、安慈から再度自身らと一緒に函館に来てくれと頼まれると、安慈からの頼みならと永倉の時とは違って、あっさりとそれを了承した。そして3人で目的地の函館に向かった。
宗次郎と共に剣心たちと合流する中、志々雄一派に家族と故郷を蹂躙された恨みを持つ三島栄次が十本刀の面子と顔を合わせてしまい、特に顔を知る宗次郎からの誠意の感じられない謝罪に栄次は怒りを爆発させかけたところを、宗次郎の頭を掴んで共々土下座をし、代理の形で謝意を示す。
元々情け深く剣心組と心情が近い事もあり、左之助は勿論、剣心も彼の人格は信用しており、関係は良好。
そのため、十本刀の面々のリーダー役を任されている。
キネマ版
作者が北海道編の前に描いた原作のパラレルワールドであるキネマ版にて名前こそ出てはいないが安慈と思われる人物が左之助の口から語られており、原作同様彼から二重の極みを教わっている模様
能力
「驕るな小僧。極めるとはこういうことだ」
主な武器は10年かけて会得した「二重の極み」による打撃であり、劍客兵器からは万物必壊・破壊の極意と称されている。
恐ろしいことに、左之助に伝授した右手の正拳突きによる発動のみならず、作中で披露しただけでも肘打ち、足踏み、裏拳の二重の極みを両手両足で使用している。
さらに左之助は「その気になれば頭突きでも二重の極みが可能」と推測していたが、北海道編の土居潜具羅との戦闘で「総身」、つまり全身どこからでも放つことができることが判明した。収監中の態度と刑務所が破壊された様子もないので、修行していたとは考えられず、京都編の段階で既に「総身」を習得していたと思われる(とはいえ数年牢獄の中で鍛錬無しに安慈レベルの筋力と技巧を錆びつかせずに済むとも考えにくい為、肉体労働刑に従事していたか、破壊行動を伴わない種類の鍛錬だけは継続していたと予想される)。
さらには、腰に帯剣している懐剣(両刃)を地面に突き刺すことで、二重の極みで衝撃波を発生させる「遠当て」を奥の手として持っている。なお、その剣で斬ることはない。「剣客ではないのに十本刀に名を連ねている」理由はこれ。
- 他媒体も含めると、対志々雄用の奥の手を含め更なる奥義が他にもある。二重の極みを参照。
欠点としては筋肉の量ゆえに、拳の動きに身体のこなしがついて行かず、小回りが利かない点がある。
ただし、拳の速度自体は左之助より圧倒的に速く、極み外しで冷静に左之助の攻撃に対応している。
更に北海道編では、両者とも本気ではなかったとはいえ縮地を駆使する宗次郎とその速度を真っ向から迎え打てる永倉新八の斬り合いを仲裁している。
圧倒的破壊力と比較すれば見劣りするだけで、達人相手の戦場でも充分通用するだけの小回りや速度があることが見て取れる。
身体能力や二重の極みだけでなく、即座の対応力など総合的な戦闘能力も高いレベルにあると言える。
強さの考察
よく、作中での序列や戦績から「左之助が安慈よりも強い」という意見があるが、左之助と戦った際はストーリーの都合上の補正が発生したことと、安慈が戦意を喪失しただけである。
- アニメでは、若干演出が変更されており、倒れた左之助を安慈が恵の治療薬を使って手当し、左之助が安慈に「次こそは超える」と宣言するという流れになっている。
事実、志々雄は「奴と戦って無傷で済む者はいない」と、剣心も「単純な力なら左之助よりも上だった」と評価している。また、重傷を負った後も戦闘を続けようとする余力があり、崩壊するアジトから方治を連れて脱出している。
三重の極みで左手をやられたが残った右腕で左之助に襲い掛かろうとしていたことからも余力があったことが窺える(ただし構想時は、安慈は心停止する予定だったとのこと)。
二重の極みの発展形である「総身」を披露した際には、劍客兵器の土居潜具羅が「化け物」と評し、左之助も同意していた。
宇水が巻町操を殺そうとした際は、横から割って入ったとはいえ武器を容易く破壊して引き下がらせている。剣心は、安慈が操を助けた際に宇水が引き下がったことから「宇水は戦えば自分も無傷では済まないと判断した」と剣心は見ている。
- これは、異常聴覚によって敵の挙動を探知する宇水でも、屋根瓦の上にいたにもかかわらず、普段から仲間内に暗殺を仕掛けている宇水が不覚をとったことからも、安慈の接近に気づけなかったか、武器破壊に反応ができなかったということに他ならない。
作中での描写を見る限り、以下の様に極めて実力が高い事が見て取れる。
- (初動無しの)純粋な力だけの合掌で人間を潰し昇天させる
- 拳での二重の極みが掠っただけで左之助レベルの頑健な人物を吐血させる
- 挙動の一つ一つが必殺技
- 地面に伝わった剣撃の衝撃だけで周辺の石地蔵達が微塵になる(これは最近編み出した可能性がある)
- 左之助レベルの鉄拳から繰り出される二重の極みを何発も受けても戦闘を継続可能な肉体と精神力 (石をも砕く左之助の通常の鉄拳では、安慈に全くダメージが入らない)
- 宇水が対応できず武器破壊を許す隠密性と攻撃速度
- 左之助よりも圧倒的に拳の速度が速い
- 極み外しを正確に行い、高速で飛来する多数の岩礫の全てを二重の極みで無力化し、宗次郎と永倉新八の斬り合いを仲裁する攻撃速度と動体視力と対応力
- 志々雄の言葉から判断すると、志々雄自身や志々雄が認める手練れが戦っても負傷は避けられないだろう戦闘力
- 十本刀では宗次郎に並ぶ手練れである宇水をして「いざ戦えば自身も無傷では済まない」と判断するほどの実力。ただし、宇水自身は己が安慈に敗れるとは全く思っていない様子ではある。
(ただし、花札イラストでのチョイスを見る限り、作中の最強クラスの人物と比べれば一歩劣る評価ではある様子)。
十本刀での評価
「十本刀最強」と称された宗次郎(鎌足の独白)以外で序列は語られていないが、剣心曰く、宗次郎、宇水二人を二強とするなら十本刀三番目の手練れ。佐渡島方治も「十本刀三強」に数えており、由美も「出来てよ」と語る。
刀狩の張は宇水と宗次郎を「十本刀の二強は間違いなくこの二人」と述べているが、剣心や斎藤などの実力を見誤っていたので信憑性が薄い。
剣心が「安慈は三番目の手練れ」と考えたのも張の「宗次郎と宇水さんが二強」「宇水は宗次郎に匹敵する」と述べていたのを斎藤辺りから聞いたからと思われる。
- 廃仏毀釈事件があったのは本編の十年前であるが、安慈が二重の極みを発想するまで10年かかったとされる(発想してから会得まではひと月と述べている。例えるなら凄腕の達人になってから奥義を見出し、その会得にひと月掛かったということなのだろう)
- 京都編にて、安慈が志々雄と再会した際に「久しぶりだな。修行は完成したか?」と質問され「はい」と答えている。
- 以上のことから、安慈が二重の極みを会得したのは割と最近のことである(ただし『炎を統べる』で十本刀が全員終結した時点では二重の極みを会得している)
- 安慈が左之助に敗れたと思った時は、由美が「まさか安慈和尚が……」と青褪めていた(それだけ安慈を高く評価していたということだろう)。
方治に「剣心が抜刀斎に覚醒したら国盗りの致命的な障害になりかねない」と訴えられた際の志々雄の言葉を借りれば、「その時は俺が覚醒した抜刀斎をブッ殺すが、宗次郎と宇水がいれば万に一つもそんな事はねえだろう」とのことであり、安慈への言及はない。
十本刀の双璧はあくまでも宗次郎と宇水であると言っているとも取れるが、主題になっているのは「抜刀斎の殺害」についてである。志々雄は、宗次郎と宇水がいれば自分の出る幕はないと言っているのである。
無益な殺生を望まず、生殺与奪の決定を任せている安慈を抹殺対象である剣心にぶつけるのはあり得ないので、安慈の名前を出さなかったのは当然と言える。
- 実際に志々雄自身が「安慈は十本刀で最も慈悲深い」と評している。
- また、作戦の障害になりかねない生殺与奪の権を与えていることからも、安慈が志々雄に反旗を翻す可能性を見抜いていたという説もある。
再筆版での能力
こちらでは、比古清十郎と共に大きく見た目と設定が変更されている。全身の皮膚が硬化し、多層化してひび割れており、打撃だけでなく、多少の斬撃も受け付けなくなった。様相もより明王のイメージに沿っており、鉄輪と鉄線の髪飾りをしている。戦闘状態になると、目が発光するかの様に見える。
二重の極みの応用技は大きく分けて3種類があり、降魔の利剣を使った遠当て「陸震」、羂索を使った水中版遠当て「海鳴」、そして「空雷」がある。「空雷」は何と、横隔膜を極めて口から衝撃波を発射するという「究める」という領域を数段跳ばしている技である。これは、豪火も一瞬で霧散させるため、対志々雄用の切り札でもある。
- 「陸震」は原作でも使われた「遠当て」の再現であり、北海道編で正式名称として逆輸入された。
その他
- 外見と名のモデルは、ロックバンド「アンジー」のボーカル三戸華之介。姓は長岡市の悠久山に由来している。新津覚之進 (比古清十郎)や三条燕など、他に名前が新潟県の地名に由来するキャラクターはいるが、十本刀には沢下条張、本条鎌足、魚沼宇水、刈羽蝠也、佐渡島方治がいる。
- ちなみに悠久山には蒼紫神社があり、コチラは四乃森蒼紫の由来。
- 歴史上の人物で該当する存在はいないが、新撰組隊士・島田魁や「拳骨和尚」の異名で知られる武田物外の逸話が比較的近いだろうか。
- 作者である和月師匠お気に入りのキャラの一人であり、人気投票でも上位に食い込むなどファンからも評価が高い。そのため、左之助戦は本来はもっと長く別の形になる予定だったが、いかんせん「長すぎる」ので変わったとされる。
- 本来なら三重の極みで心停止からの過去回想に入るはずだったとのこと。しかし回想エピソードだけでも5回分もあるためさすがにカットした。
- 読み切りには似たようなキャラクターが複数回見られたり、作者が後日談を描きたいと述べたこともある。
- 作者の「知的なマッチョ」のイメージを凝縮させたキャラクターであるとされる。比古清十郎と組ませた最強の師匠コンビや、鯨波兵庫や不二などの「善玉」達の再出発や共闘を見てみたいという声もある。
- 決着は、左之助の「子供たちが望んでいるのは破壊による救世などではなく、『和尚様』に生きてほしいこと」と説得された為に戦意を喪失したためであり、作者も「救世という名の暴走は確かに止まったが、実のところ安慈の心は救われていない」としている。
- 最強和尚系キャラでも珍しく比較的若い(他には兵主部一兵衛などがいるが、やはり見た目の年代は高い)。
- パズドラで、自慢の二重の極みの効果でかなりの強キャラとなり話題をかっさらった。
関連イラスト
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るろうに剣心 京都編 十本刀 二重の極み 三重の極み 相楽左之助 椿(るろうに剣心) 新京都編 北海道編
関連キャラクター
- 竜騎将バラン…同誌の登場人物。元々は人々のために尽くす人道的な性格だったが、周囲の裏切りによって愛する女性を焼き殺され豹変。女性の仇を容赦なく殺害した。その後、我が子の行方を探すも生存は絶望的だと知り、そこへ悪の組織から勧誘されたことで完全に道を踏み外す。戦闘では成長した息子と同等の能力を駆使した激突を展開し、最終的に自らの過ちを認めて立ち去った。また劇中では残虐な敵に殺されそうになった未熟な拳法使いを助けている(その残虐な敵はこの時に両目を潰され復讐鬼になる)。
- 天王寺獅童…ジャンプキャラ、面倒見の良さ、パンダ目、小柄だった過去、最強クラスの実力と知性を兼ね備える、主人公サイドの技の本家、刀を直接は使わないが関連している、「修羅」等の描写が共通している。
- 百鬼丸…安慈と同じく親しくしていた孤児達を悪党に皆殺しにされた過去を背負っており、こちらも仇を容赦なく惨殺していた。
- オクタビア…大切な人を失った過去が原因で「祈り」だけでは何も救えない事を悟ってラスボスの部下になる等、安慈と共通している。