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概要編集

身長200cm。体重128kg。血液型O。

固太りの巨漢で特徴的な口元を持つ。


戊辰戦争江戸幕府方の武士として抜刀斎と戦い、龍翔閃を喰らって利き腕である右腕を失う。


その際、幕府側の敗北を認めた上で「自分は根っからの武人であるので銃火器の時代が来るのを見たくない、抜刀斎に殺されるのなら誉れであり悔いはない」と伝え、武人としてのを望み介錯を頼んだ。しかし、その時点で既に不殺の信念を抱いていた抜刀斎に拒否されて以来、彼や維新志士を恨んでいる。


本来は誇り高く真っ直ぐな心を持った武人であり、赤べこでは関原妙からの(蔑みと捉えられても仕方がないとされる)心遣いに笑顔で返礼する等、礼儀正しく根は善人である。


しかし抜刀斎に関わると一変し、上記の恩を仇で返し、無辜の人間を巻き込んでの攻撃すら厭わない復讐鬼と化す。本人の真っ直ぐな性格が災いし、その怨恨は既に狂気の域に達している。


「殺さなかった」ではなく「殺されなかった」事実を恨み復讐に至ると、それまでの敵キャラクターとは異なる動機を掲げており、「不殺」を掲げる本作のテーマに一石を投じている。


能力編集

素手で道場の壁を叩き壊し、アームストロング砲を生身で発射する程のかなりの怪力の持ち主。更に後述の通り、飛んできた跳弾を叩き落とせる程の反射神経も持つ。


また、九頭龍閃の直撃を喰らい、上空から地表に落ちてもほぼダメージがなく、牙突でも大したダメージを与えられないほどのタフネスを持つ。


精神力も強靭で、斎藤一からも「精神が肉体を凌駕した人間の一人」と見なされている。


「武身合体」の鯨波兵庫と名乗り、戦闘では失った右腕の部分に武器を接続して闘う。巨大な体躯から生み出される怪力と合わさった砲撃の破壊力は脅威的なものを誇る。また、どこで戦闘経験を積んだのか不明だが、重火器の取り扱いに優れ狙いも悪くない。


戦闘力に関しては外印から「右腕の大砲がある限り一発逆転性が高い」と分析されており、単純な破壊力の一点なら間違いなく同士の中では最強である。


尚、最初の狙撃時は、反動で巨木をへし折り足形が地面を抉っていたのに、神谷道場襲撃の際には何故か全然反動が無かった(内部機巧を刷新した改修型だったのだろうか?)。


活躍編集

人誅が開始されると、気球から降下するや否やアームストロング砲狙撃を行おうとするも、落下し終わる前に左之助の拳を踏み台にした跳躍で、飛び上がった剣心の九頭龍閃を受けて失敗。地面に叩き付けられるも即座に起き上がり、支え台無しでの再砲撃を行うが、左之助の斬馬刀で砲弾を撃ち返されてしまう(その際、跳弾を砲身で叩き落とすと、何気に恐ろしい行為をしている)。躊躇なく2発目を打ち込もうとするも、次弾装填前の隙を剣心に突かれて脇腹を強打されて戦線を離脱する。


しかし、精神が肉体を凌駕した半狂乱の状態で再度剣心に襲い掛かり、雪代縁の人誅完遂に貢献した。その後斎藤に倒され捕縛されたが、此度の敗北で抜刀斎への恨みが一層強まり、錯乱状態に陥る。


そして、留置所の見張りの警官達が「藤田警部補(=斎藤)の正体は旧新選組の幹部で、かつて人斬り抜刀斎と戦った事があるらしい」の雑談が、(結果的に)鯨波の逆鱗に触れ牢を破壊して脱獄。


縁の基地から押収された連射型改造擲弾射出装置(カスタムグレネードランチャー奪還すると、留置所めがけて乱射し完全に焼き払った


そのまま抜刀斎を求めて市街地で暴れ、これ以上の破壊を阻止せんとする弥彦と戦闘を繰り広げる。傷つきながらも守る為に戦う弥彦に一撃を許し、急所を撃たれるも精神が肉体を凌駕していた為に返り討ちにする。

そのまま至近距離から砲撃してトドメを刺そうとするが、そこへ「人誅」の苦悩から復活して駆けつけた剣心に阻まれる。


そして、龍翔閃によって右腕の武器を破壊され、狂気の発端となった「右腕を失う」を再現されてを取り戻す。


そこで剣心に「武人としての死」を改めて願うが、またもや拒否されて激怒。鯨波は「さもなくば残った弾薬を爆破させ全てを皆殺しに……!!」と脅迫するも、弥彦に諭されて自身の過ちを悟り、剣心に改めて「新しい時代を生きてくれ」と告げられ、遂に長年の怨恨を捨ててを流しながら感謝し、再逮捕された。

  • 尚、読者の中には「弥彦の説得が若干的外れで説得力がない」と評する声もあるが、ストーリー上の都合もあるが、鯨波には響くものがあったのは間違いない。

再筆版編集

ちょんまげ頭、鎧、唇がヒゲに置き換わったなどの変更点がある。


義手が三本のアームで構成され、太刀・アームストロング砲・ガトリング砲を装備して全距離に対応している。


しかし、カラクリアームの動力として蒸気機関タンクを背負っているため、機動力が失われている。


実写版編集

演:阿部進之介


『最終章 The Final』に登場。原作のようなとてつもない大男ではないが「雪代縁に集められた六人の同志の1人」「右腕に装着したアームストロング砲で砲撃を仕掛ける」等、基本的な設定は原作と同じ。


市街地での戦いではグレネードランチャーではなくガトリング砲を装着して剣心と交戦するが、腕のガトリング砲を破壊されて敗北。剣心に「武人としての死」を求めるが、原作と同じく未来を生きるように諭され、そのまま警官隊に捕縛されている。


抜刀斎への憎悪の是非編集

上記の通り復讐に囚われて、赤べこに恩を仇で返したり、無関係の人々に被害を与えた凶行は、擁護のしようがないのは事実である。そのため「自らが主張していた武士としての誇りを忘れて凶行に走った本末転倒なオチだ」「結局は逆恨みに過ぎず情けない」「死にたいのであれば、飛び降りたり切腹すればよかったのでは?」「死にたい奴が無関係の犠牲者を出しているとは何事か」との手厳しい声もある。劇中で「抜刀斎の活躍が志々雄を生んだ」と比喩されていたり、志々雄の国取りが「新たな志々雄」を作るともされている扱いから、「鯨波自身が新たな犠牲者/鯨波を作りかねない」愚行をしでかしたのも事実である。


しかし、その一方で本来は善人であった鯨波を狂気に駆り立てたのは、武人としての誇りだけでなく、変革する時代から生じた荒波も関係しており、その境遇では悠久山安慈を思い出させ哀れみを抱く読者も多い。自分の信じる正義や忠義のために戦い、銃火器の時代を憂いていた鯨波自身が、自らの信念を曲げて火器に手を出すまで復讐に狂い、悪行に走ってしまった皮肉の流れも殊更に悲劇的である。


上記の通り、弥彦の「戦ってきた剣心と違ってお前はこの十年間、一体何をしてきた」「腕一本で済んだだけでも良しと思え」との説得は、「正論である」に類する意見だけでなく「筋違い」だと思う読者がいる。更に、剣心を引き合いに出しているのは、雪代巴を語った剣心に縁が激昂したのと同様、鯨波にとっては「ある意味侮辱ではないか?」と捉える読者もいる。


以下の判断材料を考えると、鯨波が経験した苦境が想像以上のものだったと思われる。


そして、本作が掲げる「不殺」の概念自体が賛否両論が激しいのも事実である。「不殺」の記事を参照していただきたい。


決して剣心を非難するために以下を列挙しているのではなく、本作のテーマでもある「力による解決の賛否」「正義と正義の衝突」「正義の二面性」「復讐」「贖罪」の重厚さを理解していただきたい。


生活の困難さ編集

  • 隻腕になってからの10年は辛酸をなめる生活だった実状が、本人や左之助の発言から見て取れる。現に、赤べこでの食事を「久しぶりに人間らしい食事ができた」と述べていた。
  • 武人として死ねなかっただけでなく、非常に困窮していたそんな時代を維新側が作ったのも、抜刀斎や維新志士への憎悪の原因になっていると思われる。
    • 旧幕府側の人間だった、隻腕である、敗残兵であるなど、様々な点で就労などに不利だったと思われる上、自給自足すら難しい状態である。ましてや利き腕を失った上に、明治維新の混乱と余波も重なって、誰からも助けてもらえないだろう状況もあり、普通の生活すら苦労したはずである。
    • 鯨波自身が予想した通り、銃火器の普及によって彼が活躍できる場が奪われたのは想像に難くなく、ましてや旧幕府側の隻腕の敗残兵を軍が雇うわけもなく(かつての十本刀の残党の様に、優れた能力や特異な才能を発揮できる者は新政府に起用される場合があるが、鯨波は戦力が削がれている上に旧敵側であるため、新政府側からの心象はよくないはずである)、根っからの武人だった鯨波は文字通り生きる術を失っている。
    • 当時の社会の身障者への扱いは現代とは比較にならない程に酷く、特に戦う術しか知らない武門の人間がそうなれば、瞬く間に悲惨極まりない状況に追いやられるのも想像に容易いだろう。
  • 鯨波が初登場したシーンで示唆されたが、強面で巨漢の負傷兵の風貌から、一般人が鯨波を敬遠したり排斥してきた可能性もあり得る。風貌によって迫害を受けた例には不二もいる。

「武人としての死生観」による『死』ついて編集

  • しばしば読者の中に勘違いされがちだが、鯨波がが剣心を恨むキッカケになったのは、敗北したことでも腕を切り落とされたことでもなく、その後のとどめを刺さずに(鯨波視点で)侮辱に等しい対応されたから、である。
  • 武士の誇りを重視していた鯨波にとって、命を懸けるに値する戦場と見て、完全燃焼をするつもりであったろう心持ちだったのは想像に難くない。そして、覚悟していたものの命を喪う事態になるのであれば、命を絶たれるまでは恐怖や誇りを胸に歯を食いしばっていたであろうが、その重い想いを胸に耐えていたところを、冷や水をかけて不完全燃焼を強いられた形である。
  • 当時の概念からしたら、情けとして止めを刺す行為こそが道理であり、鯨波からすれば剣心側の一方的な都合で苦しみが増大させられたため、自死を選ぶなどの希死念慮よりも憎悪が大きくなってしまった可能性がある。
  • 誤解する人が少なくないが、武士にとっての自刃とは単なる自死の手段ではなく、家や主君や自らの尊厳などを含めた名誉を守る意味合いが大きいため、鯨波に「じゃあ死ねばよかったのに」との感想を安直に抱くのは筋違いでもある。
  • 利き腕を失った隻腕であり、更に廃刀令によって刀の入手自体が難しくなったため、自刃すら難しく、就労の困難さゆえに刀以前に金銭の工面すらままならず、他人に介錯も頼めないなど、武人として死にたくても死ねない状況だったのかもしれない。
  • 鯨波は九頭龍閃牙突の直撃を余裕で耐え、上空から地表に落ちてもほとんど無傷な程に強靭な肉体を持つため、仮に誰かに介錯を頼んだり飛び降りても死ねなかった可能性もある。


剣心の対応について編集

  • 「鯨波を無力化するだけなら、はたして利き腕を斬り落とす必要があったのか?」との疑問もネット上で散見されるが、死ぬまで役割を全うしようとする敵を相手にしているので、殺さないだけならあながち間違ってない。
    • しかし、剣心が敵方ながらも鯨波を手当てもせず介錯を断る道理もほとんど告げずただ「生きてくれ」とだけ伝えたまま戦場に置き去りにしたのも事実である。しかも、無力化出来た時点で前進する訳でもなく、鯨波からの願い出に対して返事をするだけの余裕があるため、むしろ余計に侮辱しているような対応である。
    • こんな状態の鯨波がその後に生き地獄を味わうのは明白である。この状況で「飛天御剣流の理を破り過ちを犯したことへの反省」だとしても、最低限の処置もせずに去っていった剣心の判断の是非を問う声も少なくない。
      • 鯨波からすれば「武士としての生き様の不完全燃焼を強いられた」「今後苦しむと分かっていてわざと放置された」と思い込んでも責められない状況である。新時代の到来によって、武人の立場がどんどんなくなっていく時勢は剣心からも明らかだったのに、隻腕にしておいて「新しい時代を生きてくれ」と突き放すのはかなり皮肉的かつ無責任の放置である。
  • この状態で戦場に放置された鯨波が生存した経緯を推察すると、敵方からは「戦えない奴に関わるだけ無駄」「自軍にとって障害にすらなり得ない存在」としてわざわざ殺すまでもなく蚊帳の外にされた(更に味方からは「生き恥晒しの穀潰し」「自刃もできない臆病者」などと陰口さえも叩かれた)可能性があり、仮にそうならば鯨波にとってその扱いは「自分は武人以下の存在に貶められた」現実を否応にも思い知らされただろう。そして当の剣心が維新側によって作られた廃刀の時代中、未だに帯刀し続けている状況も、武人としての人生を失った鯨波からしたらおもしろくないはずである。
  • 剣心と鯨波が赤べこで再会した際にも、剣心は鯨波に気付いたが、鯨波に謝罪どころか声すらかけなかった。また、弥彦に説得されて溜飲を下げた鯨波にも、剣心は謝罪の一言をかけなかった。そのため、剣心が鯨波に早く謝罪をしていれば、たとえ戦況が変わらなかったとしても、鯨波の暴走の被害が軽くなったかもしれない。
    • ただし、再会した直後の剣心は鯨波を見て「かつて自分が腕を切り落とした相手かも知れない」と確定しきっていない状態でもあった。
  • 擁護に至るものではないが、武士として生まれて育った鯨波と、比古に拾われて人里離れた土地で剣術を仕込まれた剣心とでは、死生観や剣を振る意味合いが大きく異なっており、剣心は戦とは無縁の一般人に感性が近い上、当時の剣心は不愛想で生意気、親しい相手以外にはむしろ不誠実な若造であり、巴との生活と彼女を殺めてしまった結果、ただ人を斬って殺すだけでは物事が解決しない現実の本質に漸く気付き始めるも、答えを出す暇も与えられずに戦場に駆り出された精神的には未熟なままの時期である。

余談編集

  • 名前の由来は鯨波村であり、比古清十郎悠久山安慈など他のキャラクター同様に、新潟県の地名に関係している。
  • 「鯨口」なるよくわからない形容詞の発祥である。
  • 彼も、例えば十本刀安慈和尚や不二の様に、道を踏み外しはしたが「悪人」ではない為「更正してからの再登場や剣心たちとの共闘を見たい」との声に加え、現在進行中の北海道編での鯨波の登場・活躍を望む声も少なくない。
    • 実際、当時の「剣心のライバル」の人気投票では鯨波は上位に食い込んでいた。
    • だが、社会的な事情により登場や活躍が制限される可能性もある。もしそうなると、シリーズでも屈指の不完全燃焼キャラクターとなってしまうかもしれない。
  • 他の六人の同志もそうだが、企画段階では「剣心に子供や家族を殺された」など、直接的に怨みを抱えるキャラクターとして構想されていたが、様々な事情により逆恨み的な目的のキャラクターに変更された。→六人の同志を参照。
  • フォビドゥン澁川による『スナックバス江』に本人が登場している。
  • 作者が描きたかった「ターミネーター的な役割を担ったキャラクター」である。モデルは『X-MEN』のアポカリプス。人物像のモチーフは伊庭八郎(隻腕の1点で)。
    • 前述の通り伊庭八郎がモチーフだが、これは元々雪代縁の原形で、右腕の武器換装も想定していたが、煮詰めていく内に「隻腕のキャラクター剣心を追い詰める事が出来るのか?」と疑問に思った後に現在の縁に再編し、旧・縁の原形を鯨波として再生した。
    • 当時だからこそどうにかなったものの、現在だったら身障者の人権を保護する諸機関からの批判炎上は免れず、最悪の場合打ち切りもあり得ていただろう。

関連項目編集

るろうに剣心 六人の同志 人誅編 復讐者 哀しき悪役


伊庭八郎:史実の人物では比較的近い様相を持っていた存在。


????:“時代の移り変わりに対応できず、旧来の価値観に囚われ続ける存在”の意味では該当してしまう。ただし、北海道編ではメインキャラクターを含む多くのキャラクターが、時代に取り残された存在として描かれている。


オイボレ:鯨波同様に、剣心に人生をボロボロにされた人物だが、彼を恨むどころか、その素性を知った上で助け船を出している、身体が小さく文武は不得意だが、飄々として苦難をやり過ごす、復讐を捨ててはいるがどこか人生を諦めている……など、まるで鯨波と対比させるために作られた様な設定を持つキャラクター。

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