インドネシア
いんどねしあ
概要
首都 | ジャカルタ |
---|---|
面積 | 190万4569平方キロメートル |
人口 | 2億7527万3774人 |
建国 | 1949年12月27日(オランダより独立) |
公用語 | インドネシア語 |
国家元首(職) | 大統領 |
政体 | 大統領制 共和国 |
インドネシア共和国(インドネシアきょうわこく、インドネシア語:Republik Indonesia、オランダ語:Republiek Indonesië、英語:Republic of Indonesia)は、東南アジア南部に位置する共和国。国土が多数の島々で構成されている島国である。首都はジャワ島に位置するジャカルタだが、ボルネオ島のヌサンタラに移転する予定である。この国の観光名所はバリ島・ボロブドゥール遺跡が有名である。火山が多い国で、クラカタウ島の火山は1883年5月に島の大半を吹き飛ばす大噴火を発生させ、それによって島民が全滅したと云われている。
東南アジア諸国連合の盟主とされており、本部がジャカルタにある。ただでさえ人口の多いアジア諸国の中でも特に人口が多く、世界有数の人口を擁する。中東の宗教と思われがちな日本のイスラム教へのイメージからすると意外だが、世界最大のムスリム人口を抱えるイスラム教国である。
歴史
1799年12月にオランダ東インド会社が解散され、1800年1月にポルトガル領東ティモールを除く東インド諸島の全てがオランダ領東インドとなり、現在のインドネシアのほぼ全体の領域がオランダの統治に服した。
1795年1月にオランダはフランス革命戦争でフランス軍に占領されて滅亡し、それ以降はバタヴィア共和国、ホラント王国と政体を変遷した。1811年8月にイギリスがインドネシアを支配し、1816年8月にその権利をオランダに戻した。
1824年3月にイギリスとオランダは植民地分割協定を締結し、これによってオランダ領東インドの領域が確定した。
1945年8月にスカルノを含む民族主義者はジャカルタのプガンサアン・ティムール通り56番地で、インドネシアの独立宣言を発表した。しかしオランダはこれを承認しなかった為、独立戦争を戦う事を余儀無くされた。この戦争でオランダに対する国際的な非難は高まり、最終的に共産化を警戒するアメリカの圧力によって、オランダは独立を承認せざるを得なくなった。
1949年12月に開催されたハーグ円卓会議で、オランダから無条件で独立の承認を得る事に成功した。この時にオランダ統治時代の資産を継承し、これによって国際法上は正式に独立が承認された。
社会
民族
インドネシアは多民族の国であるが、その大多数はマレー系民族であり、彼らがインドネシア人の直系の祖先で、原マレー人と新マレー人の2種類に分けられる。他にも約300の民族がおり、住民の内ジャワ人45パーセント、スンダ人14パーセント、マドゥラ人7.5パーセント、沿岸マレー人7.5パーセント、その他26パーセント、中国系約5パーセントとなっている。
父系・母系を共に親族とみなす『双系社会』である為、苗字が無い人もいる。例えばスカルノ、スハルトなどがそうである。
インドネシアは公用語であるインドネシア語と、掲げられた『多様性の中の統一』というスローガンの下で、多民族がまとまって一つの国家としての形を保っている。この事からインドネシア人の多くは基本的に他人に対しても寛容であるとされ、南国特有の性格の明るさ・怒る事はあまり良くない事と考えられている思想もあってか、基本は穏やかな気質とされる。また時間感覚がかなり違い、おおらかな気質から時間にはルーズな人が多いとされる。
国際関係
アメリカ合衆国
1949年12月に外交関係を樹立し、一般的に強固で緊密な両国関係にある。両国は共に共和国であり、各国は相手国の戦略的重要性を相互に認識している。1968年3月にスハルトが大統領に就任し、アメリカはインドネシアに財政・軍事援助の提供を開始した。
1975年12月にジェラルド・フォード大統領とヘンリー・キッシンジャー国務長官はジャカルタでスハルト大統領と会談し、アメリカは東ティモールに対して立場を表明しない事を示唆した。インドネシアは東ティモールへの軍事侵攻を実行し、同地をインドネシアの27番目の州にした。
2018年1月にジェームズ・マティス国防長官はジャカルタを訪問し、マティスは「インドネシアはアジア太平洋地域における海上支点であり、インドネシアとアメリカが海上安全保障の問題で協力することを望んでいる。」と述べた。
日本
1958年4月に外交関係を樹立し、歴史的経緯から日本と友好的な外交関係にある。日本企業の雇用主からは「とても従順で真面目によく働いてくれる。」と言われており、日本人に敬意を表して接する人が多い。これらの事情から日本人とインドネシア人は非常に相性が良いとされ、インドネシアを開発拠点として最良の場所と考えている日本企業が多い。
しかし戦争において日本兵から過酷な扱いを受けたインドネシア人は少なくないので、やはり戦争の話をする際は注意が必要になる。実際に「ロームシャ」・「ケンペー」・「バカヤロー」の3つはインドネシア語として残存しており、特に「バカヤロー」が最も知られている事実は、人前で罵倒されることを屈辱と考えるインドネシア人にとって苦々しい記憶が確かに存在した証拠でもある。
INAXの現地法人はインドネシアの国のコードがINAである事から、同表記の旧ロゴマークを未だに使用している。他にもジャカルタ近郊の通勤輸送は都営地下鉄・東急・JR・東京メトロ・東葉高速鉄道のように、日本国内で使用されなくなった鉄道車両の多くを使用している。
ロシア連邦
1950年2月に外交関係を樹立し、科学・文化・文学・芸術・スポーツの分野における活発な相互接触の広範な発展に弾みをつけた。冷戦時代は両国の首脳が相互に訪問し、緊密な両国関係を築いていた。
1958年9月にソ連とインドネシアは軍事協定を締結し、軍事装備と武器をインドネシアに引き渡す事に同意した。
2007年9月にロシアとインドネシアは10億ドルの防衛契約を締結した。この契約でインドネシアはロシアからヘリコプター15機・戦車20台・潜水艦2隻を購入できるようになった。
2018年3月にレトノ・マルスディ外相はモスクワを訪問し、セルゲイ・ラブロフ外相は「ロシアとインドネシアが貿易・経済・人道・軍事技術の分野で協力している。」と述べた。