概要
ザ・モンキーズ(The Monkees)
ビートルズの大人気を受け、アメリカにも同じようなグループを作ろうとオーディションでメンバーを選び、ロサンゼルスで結成されたアイドル・グループ。
ビートルズ主演映画『ビートルズがやって来るヤァ!ヤァ!ヤァ!』をヒントにしたテレビ番組『ザ・モンキーズ・ショー』に毎週出演して人気グループとなったが、メンバーがアーティストとしての自我に目覚めて制作者サイドと決裂し、人気は下火となっていった。
1980年代に『ザ・モンキーズ・ショー』がMTVで再放送されてリバイバル・ブームが起きた。
メンバー
デイビー・ジョーンズ
本名:デヴィッド・トーマス・ジョーンズ(1945年12月30日~2012年2月29日)
体が小さく騎手を目指したが、ケガで身体が不自由になった父親を養うために諦め、俳優養成所でアルバイトをしていた所、俳優として抜擢されテレビ番組などに出演。ミュージカル・タレントとしても活動する。
ビートルズが『エド・サリヴァン・ショー』に出演した回にも出演していた。
ミッキー・ドレンツ
本名:ジョージ・マイケル・ドレンツJr.(1945年3月8日~)
両親は俳優。自身もミッキー・ブラドックの芸名で子役として活躍した。
メンバー唯一の存命者。
マイク・ネスミス
本名:ロバート・マイケル・ネスミス(1942年12月30日~2021年12月10日)
母親は修正液「リキッドペーパー」の発明者で実業家のベティ・ネスミス・グラハム。
マイケル・ブレッシングの芸名でカントリー歌手をしていた。
新興宗教「クリスチャン・サイエンス」の信者。
ピーター・トーク
本名:ピーター・ホルステン・トルケルソン(1942年2月13日~2019年2月21日)
フォーク歌手を目指していた頃、グリニッジ・ヴィレッジでスティーヴン・スティルスと知り合い、ロサンゼルス移住後に彼の薦めでモンキーズのオーディションに参加した。
親しみやすいキャラクターで、『ザ・モンキーズ・ショー』ではボケ役を担当。
来歴
1964年
ビートルズの成功を目にしたスクリーン・ジェムス・コロンビア(コロンビア映画のテレビ部門)のバート・シュナイダーとボブ・ラフェルソンはアメリカでも同様の人気グループを作ろうとオーディションを行い、1966年1月に最終合格者が決まった。
1966年
8月、『恋の終列車』がリリースされ、9月よりバラエティー『ザ・モンキーズ・ショー』(NBC系)の放映が開始。
10月に発売されたデビュー・アルバム『恋の終列車』は500万枚を売上げる大ヒットとなり、モンキーズはアイドル・グループとして成功を収めた。
1967年
1月、アルバム『アイム・ア・ビリーバー』をリリースし、再び500万枚を売上げる大ヒットとなる。しかし、これはプロデューサーのドン・カーシュナーがスタジオミュージシャンのバッキングトラックにファースト・アルバムで未使用だったボーカルの音源を乗せて制作し、メンバーの知らないうちに発売されたもので、2作目以降はメンバーもアルバム制作に関われるという約束は反故にされた。
さらにはシングル「恋はちょっぴり」B面のネスミス作詞・作曲の「どこかで知った娘」を勝手に「シー・ハングズ・アウト」(ジェフ・バリー提供曲)に差し替えるなどしたため、メンバーが予定通りのシングル盤を独自制作し、記者会見を開くというクーデターを起こした。
カーシュナーが更迭され、タートルズのチップ・ダグラスを共同プロデューサーに迎えてアルバム『灰色の影』が制作され、5月にリリースされた。演奏はメンバーが行ったが下手で、ガレージ・パンク的な雰囲気のアルバムとなった。3枚連続のビルボード1位となったが、売り上げは200万枚とやや落ちた。
当時、「モンキーズはビートルズのパチモン」と音楽関係者から冷ややかに見られていたが、同年のイギリス・ツアー時にビートルズはモンキーズを招いてパーティーを開き、ジョージ・ハリスンは彼らのセルフ・プロデュースへの挑戦を賞賛した。
11月、アルバム『スターコレクター』がリリースされ、4枚連続のビルボード1位、300万枚の売り上げを記録。
1968年
3月、メンバーがマンネリ化にうんざりしていた事もあり、『ザ・モンキーズ・ショー』の放映が終了。
4月にアルバム『小鳥と蜂とモンキーズ』がリリースされたが、初めてチャート1位を逃した。
10月に来日し、日本武道館(東京都)、京都会館(京都市)、大阪フェスティバルホール(大阪市)で公演を行った。
11月に主演映画『ザ・モンキーズ 恋の合言葉HEAD!』(監督:ボブ・ラフェルソン 脚本:ジャック・ニコルソン)が公開されたが、難解な内容だったため興行的には大失敗に終わった。ピーター・トークがグループを脱退。
1969年
2月、未発表曲を集めたアルバム『インスタント・リプレイ』をリリース。ビルボードでは最高32位。
10月、マイク・ネスミスが中心となってカントリー色の強いアルバム『プレゼント』をリリースするが、ビルボードでは最高100位。ネスミスはグループを脱退した。
1970年
6月、レコード会社との契約を履行するためアルバム『チェンジズ』をリリースするがビルボードでは最高152位で、話題にすらならなかった。アルバム発表後にモンキーズは解散した。
1980年
コダックのテレビCMで『デイドリーム・ビリーヴァー』が使用された事から日本でモンキーズのリバイバル・ブームが起き、テレビ東京で『ザ・モンキーズ・ショー』が再放送され、マイク・ネスミスを除くメンバーが来日した。
1986年
MTVで『ザ・モンキーズ・ショー』が再放送された事からアメリカでモンキーズのリバイバル・ブームが起き、ベストアルバム『ゼン・アンド・ナウ…ザ・ベスト・オブ・ザモンキーズ』が発売された。
2012年
2月29日、デイビー・ジョーンズが心臓発作により死去。
2016年
結成50周年記念アルバム『グッド・タイムズ!』が制作された。
2019年
2月21日、ピーター・トークが死去。
2021年
12月10日、マイク・ネスミスが心不全により死去。
余談
デヴィッド・ボウイは「デイビー・ジョーンズ」名義でデビューしたが、モンキーズのデイビー・ジョーンズと名前が被ったので、芸名をデヴィッド・ボウイとした。