- ドイツ、ワルサー社製のオートマチック拳銃。ワルサーP38を参照。
- アメリカ陸軍がかつて運用した戦闘機。通称『ライトニング』。本項で解説。
- アメリカ軍でかつて使用されていた缶切りの愛称。2の戦闘機が愛称の由来という説が有る。MREの普及に従い使用されなくなったが、同様の物が自衛隊などで使用されている。
概要
アメリカ、ロッキード社の開発した高高度戦闘機(迎撃戦闘機、護衛戦闘機)。通称は『ライトニング』(稲妻)。
開発主任はケリー・ジョンソンで、のちにF-104の設計も務めている。
2基のエンジンのおかげで上昇力や高高度性能に優れており、一撃離脱戦法を得意とする。
戦法が確立していなかった当初は格闘戦に持ち込まれ、撃墜される事例が続出した。
これを日本のパイロットからは『ペロパチ』と呼ばれた事もある。
後に戦法が確立してからは一撃離脱に徹し、太平洋では3番目に多く敵を撃墜した機である。
(海軍機との合算であり、陸軍機の中なら一番多い)
長い航続距離を生かし、かの山本五十六長官機を撃墜したヴェンジェンス作戦(日本側では海軍甲事件)でも有名。
ケリー・ジョンソンの高高度戦闘機
開発は1930年代後期にまで遡る。当時のアメリカ陸軍航空隊に配備されていたのは、セバスキーP-35やカーチスP-36といった平凡な戦闘機だった。しかしその後世界情勢は緊迫を強め、ボーイングの爆撃機であるB-17が制式採用された。これは当時の最新技術である「排気タービン」を利用しており、高高度性能に優れた爆撃機だった。
P-38は『もし敵がこんな爆撃機を開発したら』という危機感に基づいて開発された。対爆撃機迎撃に絞った戦闘機だったため、当初から一撃離脱が主戦法とされていた。
性能について
火力は12.7mm機銃4門に加え、37mm機銃を1門装備(後に20mm機銃に変更)している。
これらは機首に集中して装備され、敵に絶え間ない弾幕を浴びせる事が出来る。
速度はP-51程では無いが、それでも時速650kmを叩きだした(原型機の記録。最終的には667km/hを記録する)。またこの高速ぶりから偵察機のタイプもあり、「星の王子さま」の筆者として有名なサン=テグジュペリの最後の乗機は本機のF-5型であった。
一番の特徴は上昇力を生かした一撃離脱戦法であり、急降下から敵機に追いついて機首の機銃で一連射を浴びせ、そのまま上昇して離脱する。
日本機は総じて急降下に弱い(機体強度が低い)ため、P-38は『双胴の悪魔』と恐れられた。ただし日本機の例外として、三式戦闘機・五式戦闘機は頑丈な構造で急降下性能に優れていたため、P-38を急降下で振り切ることができた。
戦績について
太平洋では『ペロパチ』として知られる一方、『双胴の悪魔』としても名を馳せた。
上昇力にモノを言わせた一撃離脱戦法は日本とドイツのパイロットに恐れられ、大きな燃料搭載量(航続距離)と併せて神出鬼没の活躍をみせた。
以上によってアメリカ軍での撃墜数一位のリチャード・ボング少佐、二位のトーマス・マクガイア少佐を輩出し、『太平洋で3番目に敵機を撃墜した戦闘機』となったのである。
実際のライトニング
第二次世界大戦直前に初飛行し、太平洋戦争開戦の半年前にされたP-38は、まさに日本と戦うことを運命づけられていたと言ってもいいかもしれない。事実、太平洋では(陸軍機として)一番の撃墜数を誇る機であるし、「ヴェンジェンス作戦」をはじめとして馴染みも深い。
だが、その隆盛は日本人の思うほどでも無いようである。
エンジン2基を備える双発機だった事は機体価格の高騰を招いたし、当初脅威であった高性能もP-47などの新型戦闘機が登場したことで、次第に見劣りしていくようになる。
高高度戦闘機から戦闘爆撃機へ
当初重視されていた一撃離脱戦法も、実際に使ってみるとそれほど上手くいかない事も分かった。
P-38の主翼は厚く、速度が上がると(=速度による空気の圧縮が進んでいくと)激しい振動を起こすことが明らかになったのだ。
もちろん、敵も進化していく。
一撃離脱が主流で高速のドイツ機が相手のヨーロッパではFw190のような新型機が登場して性能的に後れを取るようになり、速度では互角でも運動性では単発機に勝てないと敵に勝るところのない機体となってしまう。
(以降はアフリカ方面で戦闘爆撃機として活躍していくようになる)
同様に日本相手では、速度で上回ったため一撃離脱さえ出来れば有利だったが、一旦速度や高度を落としてしまえばなす術が無くなってしまう。さらに一撃離脱にも対策が進みつつあった。(三式戦闘機など)
一方、高々度迎撃機としては日本の一式陸攻が2速過給器を備えて高度8000mからの目算爆撃をしてくるようになると、その重武装が生かされるようになっていく。
一式陸攻は当の日本人から「一式ライター」「マッチ棒」などと呼ばれたが、実際に撃墜されやすかったのは低高度から雷撃を狙った時で、高々度水平爆撃ではそんなに被害は出ていない。実際米軍のWWIIベテラン戦闘機パイロットの多くが「ベティはそんなに簡単に墜ちなかった」と回想している。
そのため、P-38F以降は後部胴体(双胴)内部に爆弾倉を追加し、長距離戦闘爆撃機として主に太平洋で活躍していく事になる。太平洋戦線では飛行場と目標が離れていることが多く、他の戦闘機では目標までたどり着けなかったからだ。
P-38クルーザー
このP-38は爆撃機の長距離援護機としても想定されており、当時流行りのこの思想で作られた双発の列強の戦闘機が月光、屠龍、Bf110などで軒並み失敗する中で成功した稀有な例となっている。そしてこの任務の為に本機は長時間にわたる操縦でも疲れにくいように設計されていた。
一番の特徴は「操縦輪の採用」である。
操縦輪とは、一般の旅客機に備えられているような、両手で持って扱う操縦装置のことを指す。これは片手で持ち続けなければいけない操縦桿に比べ、操作しやすくて疲れにくい長所がある。長い航続距離、大きな搭載量、そして長距離でも疲れにくい操縦装置のおかげで太平洋を荒らしまわった。
「ペロパチ」
だが、P-38は重いので小回りが利きにくい。これは他国の同様の機にも共通する欠点である。
加えて操縦輪が採用されている事も格闘戦で後れを取る原因にもなった。
空戦中にスロットルレバーを操作しにくく、これも格闘戦での弱さに拍車をかけることになった。
格闘戦に非常に弱かったことと、一撃をかけた後とにかく急降下して逃げていくという一撃離脱戦法が撃墜と判断されてしまい、「ペロリと食える38」とペロハチと呼ばれる一因になったとも言われている。
レーダー誘導もまだ充分でなかったこの時期、一撃離脱戦法に徹しようとしてもそもそもレシプロ戦闘機自体が総じてアンダーパワーであったこともあり、高度が稼げないまま日本機に追いつかれて撃墜されたという例は結構残っている。
これは日本の単発戦闘機が総じて極端な低翼面荷重だったためで、P-38どころかP-47・P-51ですら日本機と格闘戦に入った場合は総じて分が悪い。
そしてP-38が太平洋方面で多くのエースパイロットを輩出した理由は簡単である。低空に追い込まれてしまったら素直に尻に帆かけて逃げ出すのだ。幸いエンジン2基で左右で逆回転(こんなものを量産できたのはひとえにアメリカの力である)、ペラはあまり大径ではなく加速度の高いP-38はそれを可能とした。そうなれば追いついてくるのは四式戦闘機『疾風』ぐらいしかないのだ。
(逆にP-38より大出力のエンジンを積んでB-29並みの大径ペラを採用したF4Uは、一度低高度で速度が落ちてしまったら日本機の愉快なオモチャに成り下がることがしばしばあった)
その後、ジェット戦闘機時代に入って単に翼面荷重だけではなく、エンジンの推力と電子装備によるアシストとを使った多少強引な機動が当然となっていくが、格闘戦を無視した戦闘機はたいてい成功しているとは言い難い。
P-38の登場する映画
『エイセス/大空の誓い』(原題:Iron Eagle III)
「アイアンイーグル」シリーズはF-16が活躍するシリーズなのだが、この3作目では趣向を変え、大戦中の戦闘機が主役として登場する。登場するのは
・P-38(インベンジョンストライプ付きのヨーロッパ仕様塗装)
・零式艦上戦闘機(21型)
・スピットファイア(5翅プロペラ装備の後期型)
の4機である。
関連タグ
F-35:ライトニングII