ピクシブ百科事典は2024年5月28日付でプライバシーポリシーを改定しました。改訂履歴

三島由紀夫の編集履歴

2012-10-15 23:17:14 バージョン

三島由紀夫

みしまゆきお

日本の小説家 写実的な典雅な文体と評価されるのと、独自の世界観・気質の人である。

本名:平岡公威(ひらおか きみたけ)

1925年(大正14年)1月14日生まれ。

概要

1970年(昭和45年)11月25日に、楯の会メンバーと共に陸上自衛隊東部方面総監部に乱入し、決起を促す演説をしたあと、割腹自殺をした。(三島事件)

病弱な 幼少・少年期・青年期

イメージがかなり違うかもしれないが幼少期の由紀夫は稚児のような格好で過ごしていた。三島の家は華族階級の習慣が残っていたので幼少期で女装していたのだ、古今東西、王などの古い権力階級などでは子供時代に女装している習慣があるところがあるらしい。しかも病弱だった。少年期から青年期に至ってもかなり『細い体格だった』

しかし三島由紀夫自身は『強い漢』にあこがれていたと言っている。


中年~晩年にいたりボディービルを始め、強靭な肉体を手に入れたという。(ガチムキ


西洋風愛国者~明治崇拝者

『強いもの』にひかれて

政治信条としては明治時代崇拝・国粋主義的思想であったが、古代ギリシャに心酔し南欧風の洋館を建てフランス料理を好むなど西洋趣味であった。


英語もかなり堪能で、海外からの取材には通訳を介さず応じた。このことから三島は愛国者ではあるが具体的にいつの時代の『日本』を理想としてたのかというのが憶測がたちやすいのである。


三島の場合は明治時代明治維新明治天皇元勲や当時の列強=ヨーロッパ諸立憲帝国の技術文学軍事に魅かれてかれていたのではないかと思われる。


三島はヨーロッパの『基礎文明』である古代ギリシャ文化にもひかれていたので

当然少年愛にもひかれていたのだと思われる。古代ギリシャ少年愛は『軍事教練』のなかでの友情という感じもしなくもない


古代ギリシャ世界の余談

少年愛的雰囲気の少年軍事組織であった。ただ、この組織自体は総統ヒトラー同性愛者を嫌悪し徹底的に処刑していたので、そのような事例は無いとされる


楯の会

三島は『自費』で『軍隊盾の会)』も作ったりした。これは戦後高度経済成長する日本がかつての日本的帝国文化精神の清さが薄れ、拝金亡者、年功序列、エログロナンセンスの繁栄丸出し(に見える)、封建的民主主義などのことが耐えられなくなったからだともいわれる。いろいろこれも議論される。なので三島由紀夫は江戸時代は好きではないのだと思われる(武士は興味があったようだが)


交友関係

森鴎外を深く尊敬していた。太宰治の作品を嫌っており、大宰本人に対して面と向かって「僕は太宰さんの文学は嫌いなんです」と言い切ったというエピソードがある。生前は美輪明宏と交流が深く、江戸川乱歩作の「黒蜥蜴」を戯曲化して美輪に主演を依頼したのを皮切りにして、自決事件の直前まで公私共に長い付き合いを重ねていた。


主な作品

小説

戯曲


関連タグ

小説家 文豪 憂国忌

帝都物語 美輪明宏

同性愛 楯の会 ボディービル

問題を報告

0/3000

編集可能な部分に問題がある場合について 記事本文などに問題がある場合、ご自身での調整をお願いいたします。
問題のある行動が繰り返される場合、対象ユーザーのプロフィールページ内の「問題を報告」からご連絡ください。

報告を送信しました

見出し単位で編集できるようになりました