エールフランス447便墜落事故
えーるふらんすよんよんななびんついらくじこ
大まかな概要
発生日時 | 2009年6月1日午前2時頃(※) |
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発生場所 | 大西洋(赤道付近のど真ん中) |
機材 | エアバスA330-200(該当機材は2005年初飛行) |
乗員 | 12名(うちパイロット3名) |
乗客 | 216名 |
犠牲者 | 228名(全員) |
(※……グリニッジ標準時間換算、日本時間で言うなら午前11時頃)
エールフランス創業以来、またエアバスA330就航以来最多の犠牲者を出した事故であり、また21世紀に入ってから製造されたワイドボディ機で最初の犠牲者を伴う墜落事故でもあった。
消息不明、そしてブラックボックス発見まで
前日5月31日夜にリオデジャネイロを発ったエールフランス447便はパリのシャルル・ド・ゴール国際空港へ向けて飛行していた。日付が替わりブラジル管制を離れた後に管制の通じないデッドゾーンへ突入。2時間後に対岸のセネガル管制と交信するエリアに入る予定であった。
(大西洋や太平洋のど真ん中では一部管制との直接交信、及び管制からの追跡が不可能なデッドゾーンエリアが存在する)
ところがその後セネガルの管制をはじめとしたあらゆる呼びかけに応答せず、パリへの到着予定時刻を過ぎても到着の気配がなく、完全に消息を絶ってしまう。
フランス・ブラジル・スペインなどの各軍隊が最後の交信位置を中心に捜索を始めるが、数日後に機体の残骸や搭乗者の遺体その他諸々などが発見され、墜落が確定。
「事故の起きやすい”離着陸前後”でもないのに新型のハイテク機が突如墜落する」という奇妙な事故であり、また残骸発見地点は水深が4000m(つまり富士山の高さよりも深い)に達する上に海底の地形は起伏が激しかったが故に最大の手がかりとなるブラックボックスの回収がはかどらず、爆弾や乱気流などの様々な仮説も数少ない証拠からほぼ否定されるなど、原因究明は難航した。
そして2年近く後の2011年4月、無人水中探査機などの最新鋭テクノロジーを駆使し、長い時間と数千万ユーロをかけた史上最大規模の捜索の末、ついに海底に沈む他の残骸と共にブラックボックスが発見され、回収の後フランス事故調査委員会で解析された。
…………しかし、判明した事故原因はベテラン調査官ですら顔面蒼白になるほど信じがたいものであった。
最期の3分間
結論から先に言ってしまえば、原因は半分以上がピエール・セドリック・ボナン副操縦士の誤った操縦であった。
デュボア機長「交代か。じゃあ私は休ませてもらうよ」
ブラジルの管制を離れた後、ベテラン機長のマーク・デュボアが休憩のため若手の交代パイロットのデイビット・ロベールと交代したことでコクピットは若手2人の状況となるが、ここで機体に通常ならば大して問題のないちょっとした異常(速度計の氷結)が生じる。
「I have control.(僕が操縦します)」
ボナンは機首を上げるが、機体が失速寸前になりロベールは「降下して速度をつけよう」と言い出す。
ロベール「速度が落ちてる。一旦降下した方がいい」
(空気力学的に飛行機は機首を上げすぎると翼を流れる空気の流れが乱れ、やがて機体を浮かせる揚力が0になって落下し始める。これが失速である。回復するには機首を下げ翼の空気流を回復させる。これは航空業界に勤める者にとってはレベル1の基礎知識といえる)
しかしこの後ボナンは3分近くもの間、ロベールが代わりに操縦すると言い出してもなおひたすら操縦桿を引き続けた。これにより失速に突入し、そのまま機体は落下を続けより悪い状況に引きずりこまれてしまう。
デュボア機長「どうしたんだ!?」
ロベール「操縦が効きません、やれることはやったんですが……!?」
ロベールがデュボア機長を呼び戻すも、戻った機長には状況を冷静に分析する時間がなく……
ロベール「上昇だ!上昇しろ!」
「でも、さっきからずっと引いてますよ!?」
デュボア機長「!?ダメだ、これ以上機首を上げるな!!」
……しかし気づいたときには既に手遅れ。3分間落下したまま高度2000フィート(約600m)を割り、地上接近警報が鳴り出した頃、CVRはボナンたちコクピットクルーの最期の言葉を収録する。
「なんてことだ、墜落するぞ、ありえない!」
「しかしいったい何故なんですか!?」
最大の「何故」が自分にあることをボナンが最期まで分からないまま、機体は落下速度200km/hで、大西洋のど真ん中へ腹打ちするように墜落した……。
……念のため言っておくがエールフランスは航空機メーカーを抱える先進国フランスのフラッグキャリアである。
そんな会社のパイロットが失速からの立て直し方という基礎を見事に忘れ、200人以上の犠牲者を出す事故を招いたのだ。
調査官達が2年かけて追い求め、そしてようやく見つけた答えがこれでは、青ざめるのも無理はない。
メーデー民の反応
「こんなの嘘でしょ・・・何故なんですか・・・」←メーデー!においてのボナン副操縦士の最期の言葉
ミスがあまりにも初歩的なためか、テネリフェの悲劇のザンテン機長や、クロスエア3597便墜落事故のルッツ機長と共にFND三大パイロットに選ばれるという不名誉を被っている他、レバノン料理やピトー管、35L(コンゴーニャス空港)、DC-10などと並ぶ人気ワードとなってしまっている。
言っておくが勿論後述のあとがきのように彼が100%悪いという訳ではない(簡潔に言うなら事故原因は複数要因である。また、かなり苦しいがあえて擁護するなら経験の浅いときにトラブルに見舞われ頭の中が茫然自失状態になってしまったといったところか)
転じて、機首上げによる腹打ち墜落を「ボナン墜ち」と、また機首上げによる失速を防止する装置(MCAS)を「アンチボナンシステム」と、逆に自動操縦等の誤作動で機首上げが発生した場合は「オートボナン」と比喩されることがある。
なお、海外でも似たり寄ったりの扱いらしく、「pierre-cédric bonin」と検索するとidiot(バカ)が検索候補に出てくる。 詳細についてはこちらも参照
あとがき
この事故が祟ったのか、一部の航空ファンやメーデー民からエールフランス航空※1が危険な航空会社として扱われ、同じスカイチーム加盟の航空会社で事故が多い(或いはかつて多かった)大韓航空※2(韓国)・チャイナエアライン※3(台湾、旧名は中華航空)・ガルーダ・インドネシア航空※4(インドネシア)の三社と共に「スカイチーム四天王」という蔑称を纏めて付けられてしまった。(なおスカイチームにはこの他にも空飛ぶ棺桶という蔑称を付けられたアエロフロート・ロシア航空※5(ロシア連邦)がかつて加盟していたこともあって、他の2連合よりも魑魅魍魎が集まっているとされやすい。ただし盟主のデルタ航空は非常に高い安全記録を持っているなど、一概に全てのスカイチームメンバーが危険視されているというわけでもない。)
また航空業界における初歩的な基礎知識を忘れ、事故の最大要因となってしまったボナン副操縦士は現在墜落地点から地球の裏側にある日本の一部の方々を中心に盛大に嗤い者にされている。
……しかしこの事故は
・エールフランス航空がそもそも訓練を満足に行っていなかった
・若手二人だけのコクピットで明確な立ち位置が決められておらず、意思疎通も足りなかった(CRMことクルー・リソース・マネジメントが欠如していたとも言える)
・エアバスの操縦システムが、両操縦席の操縦桿が機械的に連結されていないサイドスティック式で、お互いの操作を認識しにくいようになっていた(ボーイングは一発で分かるようになっている)
など他にもいくつもの要因が重なって発生したものであり、彼が100%悪いわけではない(勿論上述のザンテン機長とルッツ機長にも同様のことが言える)。また事故を再び起こさないようにするという観点からも、特定の個人にむやみに責任を負わせるのはよくないことといえる。(責任を負わされたくないが故にヒヤリハット段階をスルー、隠蔽しメーデーに取り上げられる様な大事故に直結、というのは典型例である。起きたことは起きた事、説教で済む内にさっさと報告をあげて指示を仰ぎ、その後の責任を投げる、これが一番無難である。)
さらに、後のシリーズには、飲酒、手順無視、麻薬、無免許、乗客ごと無理心中などといった彼等よりもっとひどく、なおかつシャレにならない大ポカをやらかしたためネタにしにくい(できない)クルーもいるので、彼らが最も問題のあるパイロット三傑という扱いでないことにも留意したい。
何より、
・これは実話であること、巻き添えでたった一度きりの人生を打ち切られた人達が227人もいること、(なお、犠牲者の中には当事者であるボナン副操縦士の妻も含まれており、2人の幼い子供を残して夫婦共々亡くなっている)
・家族や友達同僚を突然失い悲しんだ人達がそれ以上の数いること、
それらを忘れてはいけない。
注釈
※1 本事故以前にも、超音速機コンコルドでの世界唯一となる墜落事故を起こした他、エアバス機の多くの機種で事故を起こしていた(コンコルドに関してはコンチネンタル航空のDC-10機が滑走路に落とした破片を踏んづけてしまったことが原因であったため、どちらかといえば被害者であるが)。ただし、447便の事故を最後にエールフランス航空は死亡事故を起こしていない。
※2 1999年頃、大韓航空特有の上下関係の厳しさ(メーデー民からは「儒教」という蔑称で呼ばれる)からCRM(クルー・リソース・マネジメント、簡単にまとめるとコックピット内の人間関係)崩壊に起因する事故が多発したことで、韓国の航空会社が一律でアメリカ合衆国の危険リストに入れられてしまい、事実上の制裁措置を一時的に受けていた。ただし、1999年を最後に大韓航空は死亡事故を起こしていない(2010年代以降はライバル社アシアナ航空のやらかしが顕著となった)。
※3 1994年に日本の名古屋で墜落事故を起こしたのを皮切りに1998年(台北)、2002年(澎湖諸島近海)で立て続けに大規模な事故を起こした時期があり、「華航四年大限(中華航空は4年に一度特大の事故をやらかす)」という都市伝説が一時期囁かれていた。なお2006年以降は死亡事故は一切起こしておらず(2007年に日本の那覇で炎上事故を起こしたがこの際は死者なし)、体制は改善されたと言える。ただし台湾島内のライバル社エバー航空が対極とも言える無傷の安全記録を持っていることもあってか、現在でも負のイメージがまだ拭いきれていない模様(名古屋と那覇の件があった日本では特に顕著といえる)。
※4 本事故の直前となる2007年3月にオーバーラン事故を起こした(他には1997年にA300の墜落事故があった他、日本の福岡でも離陸失敗事故を起こしている)。ガルーダ機事故の2か月前にも(メーデー民から最悪のLCCとして見なされた)アダム航空が墜落事故を起こしていたため、本事故でインドネシア国内の航空安全の甘さが問題視され、2018年まで欧州連合(EU)からインドネシア国内の全航空会社に出入り禁止措置が下されていた。ただし、2007年の事故を最後にガルーダ・インドネシア航空は死亡事故を起こしていない(ライオン・エアやインドネシア・エアアジアなど国内他航空会社では散発的に事故が起きているが)。
※5 共産圏ということもあり、航空安全という概念がザルでしかなかったソ連時代には数えきれないほどの事故を起こしていたほか、ロシア時代にもありえない原因で墜落してしまうなどトンデモエピソードを量産し続けることに定評がある。ソ連時代には国内にアエロフロートしか航空会社がなかったこともあり、累計の死者数では8000人以上を記録している。これはダントツで世界ワーストの記録である。近年では2019年にもSSJ100で緊急着陸に失敗した他、2022年以降はウクライナ関連の制裁を受けて更に事故の危険性が高まっていると言われている。2022年にロシア連邦軍がウクライナを侵攻した際にスカイチームから制裁措置が下され、2024年現在は資格停止中。
事故報告書
類似事故
原因は異なるが、失速による腹打ち墜落となった事例
状況があまりに似てたため同様の原因が疑われただけでなく、こちらでは機長も副操縦士もやらかしたためメーデー民からはダブルボナンとか言われてしまっている
他にも原因は絡んでいるがどちらも着陸進入中にパイロットの意図しない着陸復航モードの作動により機体が失速して墜落した事例。このためメーデー民からはオートボナンと言われてしまっている。なお、どちらも乗員乗客の全滅は免れていた。