戦後初の日本AFV
60式自走無反動砲とは、日本の陸上自衛隊が運用していた自走無反動砲である。開発は小松製作所。別名「60式自走106mm無反動砲」。通称「マメタン」(豆戦車→マメタンク→略してマメタン)。
その名の通り1960年に制式化された車両で、戦後日本がはじめて開発した装甲戦闘車両でもあった。同時期に開発された61式戦車や60式装甲車と共に、黎明期の自衛隊の装甲車両として長らく活動した。普通科隊員(歩兵)によって運用され、歩兵直協のための対戦車火力として配備されたが、各種対戦車ミサイルの充実化もあって2008年に退役している。
主武装はアメリカ合衆国製の106mm無反動砲M40に、日本独自の改修を加えた上でライセンス生産した60式106mm無反動砲で、同砲は本車だけでなくジープや73式小型トラックにも搭載して運用された。ちなみに「106mm」とは言われるものの、実際には105mm口径である。これはM40の前身である105mm無反動砲M27の弾薬と混同しないように配慮したため。
使用弾薬
砲弾は成形炸薬弾(HEAT弾)や粘着榴弾(HESH弾)、フレシェット弾に通常の榴弾が用意されている。
- 成形炸薬弾(HEAT弾)
榴弾の一種で、特殊な炸薬の配置をする事で装甲を食い破る対戦車砲弾。爆発の熱と圧力で敵の装甲を打ち破る。
詳細は成形炸薬弾の記事を参照。
- 粘着榴弾(HEP弾)
こちらも榴弾の一種だが、命中後に弾頭の爆薬がつぶれて敵に吸着、装甲外側で爆発させて反対側に衝撃を伝える。すると伝わった衝撃は装甲を砕き、内側の人間や機器に飛び散るのである。ちなみに一般的には「HESH弾」の略称で呼ばれるが、自衛隊では「HEP弾」と呼称する。
詳細はWikipedia「粘着榴弾」を参照。
- フレシェット弾
矢のような子弾を広範囲にバラ撒く砲弾。つまり特大サイズの散弾のようなもので、もちろん近接戦闘用。歩兵支援も目的とする自走無反動砲にはぴったりの砲弾である。
詳細はWikipedia「フレシェット弾」を参照。
開発経緯
ふたつの試作車両
開発は1954年、防衛庁技術研究所が新型無反動砲(上記の60式106mm無反動砲)を開発した事にはじまる。翌1955年には、この新型無反動砲を搭載する自走砲の開発予算がつく事となった。
防衛庁による開発作業の要請には小松製作所、三菱重工業、日野ヂーゼル工業の3社が応じたが、日野は開発の初期段階で撤退したため、小松と三菱の2社に競争・試作が委ねられた。
ほどなく小松製作所製「SS-1」と三菱重工製「SS-2」が完成。2台は富士演習場で試験が行われ、終了後に評価がされている。その後SS-1の評価結果が良かった事や、三菱重工が61式戦車の開発で忙しくなったこともあって、開発は小松製作所に任されることになった。この後も開発作業は続き、SS-2改良型の「SS-3」や無反動砲を4門に増設した「SS-1(改)」も生み出された。
そしてこの集大成として完成した「SS-4」が、60式自走無反動砲として制式化される事になったのである。
日本戦車の系譜
前述のとおり、60式自走無反動砲は戦後はじめて開発された日本の装甲戦闘車両である。終戦から15年経ているが、この60式自走無反動砲は旧軍戦車によく似ている雰囲気を持っている。小松製作所は重機で有名なメーカーだが、装甲戦闘車両となると建設機械などとは全く違うノウハウが必要になるので、もしかしたら大戦時の設計技師が関わっていたのかもしれない。
『マメタン』のおわりに
2008年、最後の60式自走無反動砲が退役し、こうして日本の対戦車自走砲の歴史は幕を閉じた。なにぶん古い設計ゆえに扱いにくい箇所も多くあったようで、運用末期には若手をさしおいて古参の陸曹が扱うことも多かったという。
一応、無反動砲を64式対戦車誘導弾(対戦車ミサイル)に置き換えた戦車駆逐車も試作されたものの、肝心のミサイルが有線式のリモコン誘導のだったので弾速が秒速85mと遅く、待ち伏せ攻撃には不向きと判断されている。結果として「これでは命中する前に反撃される(そして撃破される)」と判断され、試作のみに終わった。
結局『このテの車両』は軽戦車と同じく中途半端として廃れ、現在の自衛隊では普通科に対戦車ミサイルを携帯させることで対応している。現在のミサイルは人間ではなく、電子機器によって制御されているので弾速が速い。加えて兵士個人が持ち歩ける方が目立たず、それこそ奇襲攻撃を目指すのなら有利なのである。
自走無反動砲の有効性
自走無反動砲は十分な装甲を持たず、1発(砲は2連装なので2発だが)撃ったらすぐ退避すると想定されていた。当然の話だが、戦車との正面切った砲撃戦には脆弱すぎるのである。だからこそ自走無反動砲なんて弱い車両、本当に活躍できるのだろうか、といった意見はまったくごもっともである。
もちろん対戦車戦闘だと不安があるのだが、運用が普通科隊員=歩兵だったことにも通じる通り、歩兵支援なら活躍できたかもしれない。そのヒントとなるのが、ベトナム戦争における1968年の「フエ市街戦」である。入り組み、狭い街路が多かったフエ市街では、小型のオントス自走無反動砲が縦横に駆け回って海兵隊の支援に大活躍したのだ。
例えば、歩兵が敵の抵抗拠点に遭遇し、激しい砲火で身動きがとれなくなる。そこでオントスが狭い街路を抜けて登場し、拠点に1発撃ちこんで黙らせる。要は歩兵が仲間の支援に持ち出す、歩兵砲として活躍したのである(Wikipedia「歩兵砲」)。
ただし、上記の通り防御力は低く、例えばRPG-7のようなロケットランチャーを受けると大破・擱座という事態はまぬがれない。重宝された理由も「どんなに道路が狭くても通り抜けて支援してくれる」という一点なので、だったら歩兵に携行式のミサイルやグレネードランチャーを持たせればてっとり早いという解決が出てくるのだ。
実際、オントスにしても300両ほどの生産で終わっており、直接の後継は存在しない。歩兵の携行式ミサイルで対応できないのなら、今度は戦車で砲撃すればいいのである(もしくは攻撃機に近接航空支援してもらえばいい)。
現在は各種ミサイルやグレネードランチャーなども普及しており、あえて自走無反動砲が新規開発される事はない。ただし、搭載されていたM40無反動砲は世界6か国で製造されていたので生産数が多く、いまだ現役を務めている国もある。もちろんRPG-7よりも弾速が速くて精確、どんな目標にも砲弾変更で対応できるのは利点である(RPGなどは風が吹くと簡単に目標を逸れる)。
なお、1980年代に自衛隊の訓練を見学に来たイスラエルの武官が、60式を見て「これは市街戦での火力支援に有効ではないか」と興味を示したという話もある。