概要
本国の周辺地域、あるいは離れた地域であり、本国から移住者が移住し、その地域の政府や、本国の直接支配ではなく、本国の意向に従う統治機関により統治される地域である。
この状態になると本国に組み込まれることはなく、本国とは異なる法律により支配され、半ば独立した「国」として扱われる。
一般的に、原住民は自国民よりも下の地位として扱われるのが特徴である。
形式
一口に植民地といっても各種統治体制が存在する。
(以下はwikipediaの「植民地」からの引用である)
- 領事裁判権や租借地・租界設定条約による治外法権の確立。
- 外交権や駐軍権のみを獲得し内政は先住民による統治に任せて原則として干渉しない保護領。
- 現地の王侯や部族長を通じて支配する間接統治。
- 本国から総督や民政長官、軍政長官などを派遣して支配する直接統治。
- 本国が外交と防衛のみを担当し内政は現地住民によって民選された政府・議会に委ねる自治植民地。ただし「自治」とはいっても、参政権は本国出身者に限定されたり、先住民の参加を認めても公用語(本国の言語)習得や一定額以上の納税などの条件を付けて、事実上の参政権が著しく制限されることが多い。
- 自国領への併合(この場合も従来の現地住民について、市民権や国籍上の地位に区別が設定されたり、併合領土での立法・行政権など統治形態が異なることがある)
(引用終了)
歴史
古代においてはフェニキアや古代ギリシャ、古代ローマなどが行い、中世、近代においてはヴェネチア(イタリアの都市)、オマーン(アラビア半島の地域)などが行った統治があげられる。
とくに植民地統治が行われた有名な例として、大航海時代以後の帝国主義により行われたものがほとんどで、オセアニア、アフリカ、アジア、太平洋、アメリカ大陸のほとんどはヨーロッパ諸国の植民地であった。
日本は少し状況が異なる。
そもそも日本は19世紀中ごろまで鎖国を強いており、欧米並みの強国を目指して版図拡大に転向したのは明治期以降である。
その中でも厳密な意味で欧州式の植民地と言えるのは満州と南洋諸島のみであり、さらに言えば自力で植民地化したのは満州のみ。南洋諸島は第一次世界大戦の戦後処理において、ドイツ(第二帝国)領であったものを国際連盟から委託されたものである。
一般に日本の植民地とされがちな台湾と朝鮮半島だが、どちらも植民地法は適用されていない。直接日本の一部としたものである。ただし台湾は日清戦争で清の植民地であったものを割譲させたものだが、朝鮮半島に関しては正式に条約を交わして合邦したので国際法上あらゆる面から見て植民地ではない。両者は衆議院選挙に参加することも出来た(制限選挙は当時の世界的常識)。なお戦後勘違いされているが台湾と朝鮮半島は「内地」だった。
その日本は20世紀中盤にはいるとアジアの解放を大義名分に掲げて太平洋戦争に突入する。
日本は植民地を従えていた連合国に対し1945年にポツダム宣言を受諾して降伏するが、これを契機にアジアでは自主独立の民意が高まり、東南アジアの植民地は次々に独立していった。インドを含む東南アジアの独立の歴史において日本の名前が出てこないのは共産化したベトナムとカンボジア、それに宗主国(アメリカ合衆国)に独立を約束されていたフィリピンぐらいで、インドネシアでは独立歌に日本が入る、マレーシアでは日本軍のコタバル上陸は記念日になっている。なお、タイは植民地化を受けておらず、第二次世界大戦には枢軸国として参戦している。
これにより植民地支配は時流的に否定されるものとなり、アフリカや南アメリカの植民地も次々に独立していった。植民地経済が必要だった欧州各国は戦勝・敗戦両国ともに経済的に後退。とくにイギリスは世界大国の座を米ソに譲った。
しかし、欧州と肩を並べるべく経済成長にいそしんでいる東南アジアに対して、中東からアフリカにかけての国家では観光的なものも含めた資源を盾にして先進国から資金を得ることに腐心していたり、逆に白人排除主義・反キリスト教主義に走って先進国との関係を悪化させたり経済を壊滅させてしまったりと、「独立した」東南アジア・インドと「独立させてもらった」アフリカとではその後に大きく較差が生まれることになった。
独立できたものばかりではなく、隣国に併合されたりしているが、公的なものでもケイマン諸島など、数箇所が21世紀になっても現存している。
また、実際には植民地ではなくても独立運動などの兼ね合いで「植民地」という言葉が使用されることがある。
そして21世紀現在、天然資源や食料の不足傾向を背景に、アフリカやアジアへの財政支援や開発援助などを通じて、現地を経済的に支配や影響下に治めている例があり、特に経済成長著しい中国が多くしており、国際的に批判が高まっている。