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パンターの編集履歴

2013-09-14 17:41:06 バージョン

パンター

ぱんたー

第二次世界大戦時、ドイツ軍が使用した戦車の一つ。一般には英語読みのパンサー戦車として広く知られている。

解説

第二次世界大戦後期のドイツ軍中戦車

パンターD

Panzerkampfwagen V Panther:V号戦車パンター。のちに、Panzerkampfwagen Panther:パンター戦車へ変更


独ソ開戦直後、ソ連軍の主力戦車T-34にドイツ軍のIII号戦車IV号戦車は殆ど歯が立たないことが判明し、これに対抗するために急遽開発された。


装甲はドイツ戦車としては初の傾斜装甲を採用、これは砲弾が当たった際、砲弾に対しての見かけの装甲厚を増す効果があり(被弾径始)、これにより実際の装甲厚より強靭な防御力を備えた。特に車体前面上部装甲は80mmでありながら、55度の傾斜により140mm厚の装甲板以上の防御力を備えた。昼時の方角を取ったティ―ガーにの車体前面装甲板に匹敵、更に砲塔正面は防盾が曲面になった110㎜であり(ショットトラップ対策部を除けば)実質130㎜以上の垂直板に匹敵、砲塔前部装甲も100㎜厚があり、前面に限って言えばティーガーIと同等かそれを上まわる防御力であった(そのためサイズ・重量とも重戦車といって差し支えない内容になっている)。

主砲は強力な7.5cmKwK42L/70を装備、7.5cmという口径は当時のドイツ軍では一般的なものであったが、IV号戦車の長砲身型やIII号突撃砲、各種対戦車砲が揃って48口径であったのに対し、70口径もの超長砲身砲であり、速い初速と、それによる非常に強力な装甲貫徹力を実現した。口径こそティーガーの8.8cmに劣るものの、貫通力ではパンターが勝っていた。

さらにコンパクトかつ高出力のエンジンにより、後期のドイツ戦車共通の弱点である機動力の問題もなく、『第二次大戦最良の戦車』とも呼ばれている。

いわば、戦後の主力戦車の性格を先取りした内容の戦車であった。

(余談だがこの戦車の更なる利点はその価格の安さである。Ⅵ号戦車E型はⅣ号の約6倍の値段だが五号は約1.5倍程度とお得だったりする。)


初陣は1943年のクルスク戦、この戦いでは実用化を急ぐあまり初期故障が多く、また乗員も慣熟していなかっため十分な活躍とは至らなかった。しかし改良され、また乗員も慣熟していくにつれて強力な戦車となり数で勝る連合軍相手に最後まで抵抗しつづけた


バリエーション

パンターの生産型は開発された順にD型→A型→G型→F型と、アルファベット順になっていない。これは防諜のためであるとか、単なる書類上のミスである等諸説あるものの、正確な理由は未だ謎のままである。

尚、パンターは他のドイツ戦車同様、生産中にも細かなマイナーチェンジが繰り返されたため、後述する各生産型の特徴は必ずしも全車に当てはまるものではない


D型

パンター最初の量産型車両である。が、初期生産型は前述の通り様々な問題を抱えていたため、これを改善していく形で様々なマイナーチェンジが行われた。さらに突貫的な急造によって生産ラインは混乱していたため、それらのマイナーチェンジは一括しては行われず、一口に『D型』と言っても実に様々なパンターが存在する。

共通した特徴としては、車長キューポラが従来のドイツ戦車と同様に円筒形であることが挙げられる。これはA型以降改良が加えられたため、D型を見分ける分かりやすいポイントとなっている。また、初期型は砲塔側面に発煙弾発射機を装備しているが、敵歩兵の攻撃などで容易に炎上したため生産中に廃止、以後のD型車両には装備されていない。


A型

D型に続いて生産された改良型。

D型で判明した欠点に対して、特に砲塔に関して改善が図られた。最も目立つ改良点は、車長キューポラが前述の円筒型から、お椀を伏せたような形になった点である。

超戦車長

改良後のキューポラ。周囲に7個のペリスコープを持ち、その上に対空機関銃用リングが装備される。


従来の円筒形キューポラの視察口は防弾ガラスのはめられた直接視察口であったが、これは視界が狭い上に対戦車ライフル等の着弾に耐え得ず、車長が被害を受けることが多かった。対してこの改良型は視察口をすべてペリスコープとしたため、狙撃を受けても車長が被弾する事はなくなり、尚且つ視界も大きく改善された。さらに車長ハッチも「目立つ」と不評だった従来の跳ね上げ式からスライド式へと改善された。

また、砲塔左右に装備されていたピストルポートも廃止され、代わって砲塔上面に近接防御兵器(Sマイン)が装備された。しかし実際には発射機本体の供給が間に合わず、取り付け穴は塞がれていた。

生産中期からは照準器が双眼のものから単眼となり、それにあわせて二つあった防盾の照準口は片方が塞がれ、後に最初から一つだけとなった。


一方車体は初期はD型と全く同じものであった(変速機など駆動系は改善型に変更されている)が、途中から車体前面にピストルポートに代わり、ボールマウント式のMG34S・7.92mm機銃が装備されるようになった。


G型

パンターG型

A型に続いて生産されたパンターで、最後にして最大の量産生産型であり、終戦までに2943輌が生産された。A型と逆に改良点は主に車体に関する物で、砲塔側にあまり変更点は無かった。

大きな点としては、車体側面装甲板が一枚板で形成されるようになった。このため傾斜角度が若干浅くなり、それを補うために装甲は40mm→50mmに増した。また、車体前面の操縦手用視察口は廃止され、代わって車体上面に旋回式のペリスコープが設置された。さらに操縦手と無線手のハッチがスライド式から跳ね上げ式に変更された他、エンジンルーム上面のデザインも変更されている。

G型の後期生産分からは防盾下部が垂直に改められた。これは円筒型の防盾下部に当たった敵弾が下向きに跳ね返って装甲の薄い車体上面を貫通、操縦席や無線手席に飛び込む「ショットトラップ」と呼ばれる被害に対する対策であった。


F型

実際に量産された生産型としてはG型が最後だが、終戦時、完成直前まで開発が進んでいた生産型が存在した。それがF型である。G型と変わり、改良は再び砲塔を中心に行われた。G型までの砲塔はショットトラップと、大きすぎる砲塔のシルエットが目標になりやすい点が問題になっていた。これを改善するめため、F型には新設計の砲塔が搭載された。この新砲塔は前面の面積をできるだけ狭くすることを中心に設計され、そのためにこの新砲塔はシュマルトゥルム(狭幅砲塔)と呼ばれた。また、防盾はザウコフ型といわれる円錐形の物に変更されショットトラップの心配は無くなった。

さらに画期的な装備として、基線長式測距儀が装備された。これは軍艦砲兵科で使用する測距儀で、戦車の照準望遠鏡より特に長距離において正確な測距を行うことができる。これは数で劣るドイツ戦車が、優越した砲戦性能を活かして長距離から連合戦車に対抗しようとした発想によるものであった。しかし、基線長式測距儀は非常に精密かつデリケートな機材であり、敵と正面からの撃ち合いをする戦車においてその性能を十分に発揮できたかは疑問がもたれる。


パンターII

ナチスドイツ E-50 Panther "パンター”Ⅱ中戦車  

パンターII。パンターの後継車両となる筈であった。

パンターは開発段階ですでに十分な防御力を有していたが、強力なソ連戦車の前に将来的に防御力不足となることが危惧されていた。当初III号戦車やIV号戦車と同じように増加装甲の取り付けが考えられたが、パンターでは設計上不可能であることが判明し、防御力の増強を念頭に全体的な改設計を加えた後継戦車の開発が行われることとなった。

開発に際しては装甲の強化だけでなく、当時開発が進んでいたティーガーIIとの部品共通化が図られた。さらに武装もさらに大口径、長砲身の71口径8.8cm砲の装備が計画されていた。

砲塔はF型と同じシュマルトゥルムであったと言われるが、砲塔が搭載された車両が完成することは無く、実際のところは謎である。


近年の研究によるとパンターD型の生産開始以前に出された改善要求のうち、D型生産開始までに間に合わない箇所を設計に盛り込み、同時期に開発されていたティーガーIIと足回り部品の共通化を図ることで生産性と補給効率の改善を目的とした開発計画とされている。計画名称がパンターIIなのは、計画の時点で生産されていたパンター戦車(つまりD型)の後継という意味合いである。

計画開始はA型よりも早く1943年の秋には生産開始することを目標としていたが、当時の生産工場は既存のパンター戦車の生産で手一杯であり、パンターIIへの生産の切り替えは、せっかく調えた生産設備を無駄にし、また設備更新が済むまでパンター系列戦車の供給量が低下するのは総合的にみて得策ではないと判断され、A型生産開始以前に計画放棄された。

その代わりパンターII開発の過程で研究された改良点は、前述したティーガーIIとの足回り部品共通化以外の箇所がA型及びG型において順次導入されたため、パンターG型は(足回り以外)事実上パンターIIの実現といえる。

なお砲塔についてはシュマルトゥルム装備の図面があるが、F型のものとは違っている。


パンターの車体を利用した派生型

ヤークトパンター

ヤクトパンター(Jagdpanther)

攻撃力、防御力、機動力を高い次元で両立させ、最良の駆逐戦車と言われる。

第二次世界大戦中のドイツ軍は多数の駆逐戦車を製作したが、その中で同軍最強の対戦車火器である8.8cm砲を搭載した駆逐戦車の計画が持ち上がった。しかしⅢ号戦車やⅣ号戦車では8.8cm砲を搭載するには車体が小さすぎ、オープントップ自走砲形式にするほか無かった(⇒ナースホルン)。しかしパンターは8.8cm砲を搭載するのに十分な大きさがあり、8.8cm砲搭載駆逐戦車はパンターをベースに製作されることとなった。

結果、完成した車両は、車体前面の傾斜装甲を戦闘室まで延長する形で強力な前面装甲を装備、正面からはIS-2の122mm砲以外に貫通できる戦車砲は存在せず、IS-2ですら100m以内まで接近する必要があった。一方主砲の71口径8.8cm砲の威力もすさまじく、英米の主力戦車は全て3000m以上の距離でも撃破でき、T-34/85なら2800m、IS-2ですら2300mから撃破できてしまうというものだった。さらにパンターゆずりの強力な機動力もあり、正に最良の駆逐戦車であった。


ただし、戦略的にみれば、ただでさえ十分な数を供給できていないパンターの生産ラインをさらに混乱させる結果となり、パンターと互いに足を引っ張りあう形で供給が追いつかず、最後までまとまった数を有効な形で投入されることはなかった。


パンター指揮戦車

中隊指揮官・副官以上用に350輛が生産された他、改修キットにより既存のパンターから改造された。 標準的なFu5無線機に加え、上級司令部などとの連絡用にFug8長距離用無線機と星形アンテナを搭載した。無線と発電機の増設のため、搭載弾薬が79発から64発に減らされ、主砲同軸機銃が撤去されている。


ベルゲパンター(パンター戦車回収車)

行動不能となった戦車を安全に回収するための車両。それまでは18tハーフトラックSd Kfz 9戦車回収車として使用していたが、パンターやティーガーといった50t級の戦車を回収するためには、ただでさえ数の少ない同車両が三台必要で、その上非装甲車両である同車は被弾に対して脆弱であったため、戦闘中の回収はまず不可能であった。そのため特に重戦車の回収に適した戦車回収車がパンター車体を使って製作された。

当初は砲塔を搭載しない車体に簡易クレーンをつけただけの暫定的な車両であったが、後にヘンシェル社によって回収用ウインチやクレーン、車体固定用アウトリガーなどが装備された本格的な戦車回収車として製作された。


ケーリアン対空戦車

地上では最強兵器である戦車も、航空攻撃には非常に脆弱である。特に大戦後半のドイツ軍は航空優勢を連合軍に握られていたため、航空攻撃対策は急務であった。ドイツ軍は開戦当初より8.8cmFlakや2cm対空機関砲といった対空兵器を装備していたが、牽引式やハーフトラック搭載のものでは防御力や機動力が欠乏しており、戦車部隊に直協した対空戦闘は困難であった。

このためドイツ軍では各種戦車をベースとした対空戦車を開発していた。IV号戦車をベースとしたメーベルワーゲンヴィルベルヴィントがよく知られているが、同様にパンターをベースとした対空戦車ケーリアンも開発されていた。これは全周旋回式の完全密閉砲塔に連装3.7cmFlak44対空砲を装備した非常に完成度の高いものであったが、「パンターをベースにした割に火力が小さすぎる」として、木製モックアップのみの製作で計画はキャンセルされた。

シュトルモヴィク


M10パンター

たまにはアメリカーナ・・・

ドイツ軍のオットー・スコルツェニー中佐率いる第150装甲旅団は1944年のアルデンヌの戦いで「グライフ作戦」として、米軍に偽装した車両や捕獲車両、米兵の軍服を着たドイツ兵によるミューズ河に架かる重要な橋を奇襲確保する計画を立てており、その際に投入されたのがパンター戦車をM10に偽装させた車輌であった。

これはパンターにM10のシルエットを模した装甲板を被せるのみならず、キューポラを除去、更に米軍第5機甲師団を模した車両番号まで書き込んでいたという凝りようであった。

奇襲効果が失われた後、この偽装パンターは通常の戦車と同じように戦線に投入され、米軍とも交戦していた。


登場作品


関連イラスト

Cologne1945パンター

EIZEN SPANE武装SSの精鋭たち

バルクマン・コーナー


関連タグ

戦車 中戦車 駆逐戦車 対空戦車

I号戦車 II号戦車 III号戦車 IV号戦車 ティーガーI ティーガーII

ドイツ軍

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