概要
1789年にペテルブルク大学から派遣されてシベリアのイルクーツクに滞在している中、大黒屋光太夫ら漂流者6名と出会う。
光太夫を連れて漂流者を日本に送還するようエカチェリーナ2世と謁見し、送還の許しを得ることができたラクスマンは、大黒屋光太夫・小市・磯吉3名の送還と通商要望の信書を手渡すためのロシア最初の遣日使節となる。
1792年に北海道の根室に到来し、幕府に対して漂流民の引き渡しと通商交渉の要望を行った。
幕府は長崎港に入港する許可は与えたが、貿易の申し立ては鎖国を理由に断った。
帰国後の1794年、女帝に日本に関する様々な書物や名品を献上したことを賞賛され、大尉に昇進した。