エクリプス(競走馬)
えくりぷす
エクリプスとは18世紀後半(1764年4月1日)にイギリス(生産牧場はウィンザー御狩場牧場という説が有力)で生まれた競走馬・種牡馬の一頭。
現代のサラブレッドの原型となった、「ランニングホース」と呼ばれる馬である。
名前は日食や月食など、星が陰に隠れる現象のことで、生まれた日に日食が起きたことに由来する(これは嘘だという説もあるが、NASAの記録では1764年4月1日にちゃんと金環日食が起きている)。
生産者はカンバーランド公爵ウィリアム・オーガスタス王子。
優秀な軍人であり馬産家であり、そして悪名高い虐殺者でもあった。
公爵の死によって所有馬はセリにかけられ、当時1歳だったエクリプスは家畜商のウィリアム・ワイルドマンに購入された。
3大始祖のダーレーアラビアンから数えて5代目の子孫。というよりはダーレーアラビアンの父系子孫はエクリプス以外跡絶えているため、ダーレーアラビアンの子孫はすべてエクリプスの血が入っていると言える。
世界では97%、日本では99%のサラブレッドがエクリプスの直系と言えば凄まじさが分かるだろうか。
Eclipse first, the rest nowhere.
当時は現在のような大衆向けの競馬は行われておらず、王侯貴族や富豪が自分の持つ馬を持ち寄りお互いに賭けを行うものであった。
レースの形式も現在のような距離を決めて先についた馬を勝ちとする「ダッシュレース」とは異なり、
同一の組み合わせで複数回レースを行い、2回(レースによっては3回)勝利した馬を勝ちとする「ヒートレース」が主流だった。
しかも距離は現代日本競馬の天皇賞(春)と同じ3,200mや、その倍となる6,400mという凄まじい長距離が主流だった。
現代競馬と比べれば信じられないほど過酷であり、体が出来上がった5歳頃にデビューするのも珍しくはなかった。
この「ヒートレース」のルールとして
・僅差の場合は「勝負なし」とし(デットヒート)、仕切り直しでレースを行う。
・1位がゴールに達した時点で240ヤード(約219.5メートル。約100馬身差ぐらい?)離れた馬は「失格」となり、以降の勝負に出られない。
というものがあった。
エクリプスのデビュー戦は1769年5月3日、当時5歳。
馬主は上述のウィリアム・ワイルドマン、騎手は唯一エクリプスを乗りこなせた荒馬乗りの達人ジョン・オークレーである。
エクリプスは6,400mを走破して1戦目を圧勝。
そして2戦目が始まる前、観戦していたデニス・オケリー大佐が「エクリプスが勝つだろうが、オッズにうま味がない。2着の馬も予想して賭けるのはどうか」と提案した。
オケリー大佐自身の予想は、後世まで名言として残るものだった。
「エクリプスが一着。その他は失格だ」(Eclipse first, the rest nowhere.)
この予想は見事に的中し、エクリプスは他の馬を240ヤード以上離して勝ったとされている。
オケリー大佐の言葉は「唯一抜きん出て並ぶものなし」という意味のことわざとしても残っている。
2人目の馬主、デニス・オケリー大佐
衝撃のデビュー戦の少し後、オケリー大佐は馬主のワイルドマンからエクリプスの所有権を半分購入し、翌年には全て購入したため、エクリプスの馬主はオケリー大佐に変わった。
しかしこのデニス・オケリー氏、大佐と言っても軍人ではなく、ギャンブルや非合法ビジネスで大儲けして金で階級を手にいれたアウトローで、その妻シャーロット・ヘイズは違法娼館の経営者(出会ったのは流刑船の中)。
そして主戦騎手ジョン・オークレーの本業は密猟者、生産者であるカンバーランド公爵はスコットランドの反乱を鎮圧した際に大虐殺をやっており、エクリプス自身は凄まじい気性難(後述)……よくもまあ、これだけ凶悪な巡り合わせがあったものだ。
そんな経歴からオケリー大佐は英国の上流階級から苦々しく思われており、レースの賞金支払いを拒否されることも多かったため、専らエクリプスに自ら賭けて儲けるようになったという。
気性難
強さだけでなく気性難でも有名。
- 一度鞍をつけると手がつけられないために、数日つけっぱなしにせざるを得なかった。
- ことあるごとに暴れて乗れる騎手がいないため、最初の馬主ワイルドマンは去勢も考えられていた。
- 一説にはそれをやめさせたのもオケリー大佐という話もあり、そうだとすれば競馬の歴史を変えたことになる。
なんていうエピソードも。
そんなエクリプスだが、オウムと友達だったという話もあるらしい。
ちなみにそのオウムは賛美歌を歌えたとか。
馬は本来臆病な草食動物だが、他のヤツらを追い抜こう、もしくは逃げ切ろうという闘争心を植え付けられたサラブレッドは気性難が多い。
よくその根源としてセントサイモンが槍玉に挙げられるが、そのセントサイモンもエクリプスの血を引いているので、本当の原因はこっちなのかもしれない……。
引退後、エプソム郊外のオケリーズクレイヒルスタッドで種牡馬入り。その名の通り、オケリー大佐所有である。
大種牡馬であるヘロドとその仔ハイフライヤーがいたためリーディングサイヤーになったことはなく、どちらかというとヘロドと交配させる牝馬の父として重視されたりもした。
しかし産駒は非常によく走り、エクリプスとハイフライヤーの産駒はあまりにも強いため特別な斤量を背負わされたりもした。
種牡馬としての後継はセントサイモンの父祖でもあるキングファーガス、元祖(?)珍名馬でもあるPotoooooooo(Potの後にOが8つ=エイトオーズで「ポテイトーズ」と読む)が代表格で、この2頭が現代まで続くエクリプス系を繁栄させた。
ちなみに現在の直系としてはほとんどがPotoooooooo経由で、ディープインパクトもキングカメハメハも珍名馬の直系の子孫ということになる。
イギリスではこの馬の功績を称えて、エクリプスステークスというレースが1886年から開催されている。