生年不明~1669年11月16日(寛文9年10月23日)没
シャクシャインの三男と思われる人物。弟という説もある。
1667年に父シャクシャインがハエクルの一員を殺害し(あるいはカンリリカ本人が殺害した説もあり)、ハエクルの長オニビシより償いを要求された際、その交渉に赴くが、話に決着つかず。
道南方面にシャクシャインの檄を伝えて回り、蜂起を促す役目を担う。
蜂起後、劣勢に陥った際に松前軍から和睦の申し入れがあり、シャクシャインはこれを一度拒否するも、カンリリカに説得されたこともあり和睦に応じることとなるが、和睦を祝う酒宴の中で奇襲に遭い、父子ともに討たれてしまう。