カール・フリードリヒ・ガウス
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かーるふりーどりひがうす
19世紀に活躍したドイツの数学者であり、18世紀のオイラーと並ぶ二大数学王(画像右)
1783年に没した18世紀最大の数学者レオンハルト・オイラーの後を継ぐかのように誕生した。小学生の頃からその神童ぶりはすさまじく、学校の教師が「1から100までの数字すべてを足すといくつになるか?」という問いを出すと、ガウスは僅か数秒のうちに解いてしまったという。
彼にとってもはや学校の授業は不要であると気づき、算数教師のビュットナーは自費をはたいてより高度な算術の教科書をハンブルクから取り寄せ学ばせる。しかし、それもすぐに読み終えてしまい、「これ以上教えられることはない」と教師は結論づけるほどの天才児ぶりを発揮。
教師陣は驚愕し彼を良い学校へ入れようと考える。しかし当時レンガ職人であったガウスの父は早々に自分の仕事を継がせようと考えており、「職人に学問はいらない、大学など行かせる金もない」と突っぱねるが、領主のカール・ヴィルヘルム・フェルディナントからの経済的な援助を得て、説得を重ねるうちにとうとうガウスの数学の才能を認め、ガウスは1795年にゲッティンゲン大学に入学。
- 人と打ち解けず、厳格な性格だったとされる。君主制を支持しており、フランス革命の時はナポレオンと敵対した。
- 当時15歳のガウスは、1日15分ずつ時間をかけて1,000個ずつの自然数にそれぞれいくつの素数が現れるかを調べた。大きな数になるほど現れる素数が減っていくことに気が付いた彼は、約100年後に証明されることになる、整数論の極めて重要な定理「素数定理」を予想。
- ゼーバーという学者がいた。彼はとある数学の問題を証明しようと、248ページに及ぶ論文を作成。結局証明は完成させられず、その論文を見たガウスは書評で取り上げ「頑張りは認めるが、論文の内容は数語にまとめられる」「それらの重要な部分は30年前に私がやった 」「この書評のなかで彼の説を完成させることに貢献する」と意気揚々とたった1ページ半40行ほどの計算でQED。天才ここに極まれり。
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