「ガロア」とは
1.19世紀フランスの数学者、革命家本項で解説
2.スーパー戦隊シリーズ地球戦隊ファイブマンのキャラクター
3.ゲームクラッシュフィーバーのキャラクター
「僕にはもう時間がない。」(死の2日前の手紙より)
概要
本名エヴァリスト・ガロア。「ガロワ」と表記されることもある。フランスの天才数学者にして革命家。数学界に偉大な業績を残すが生前は評価されず、20歳の若さで決闘で敗死した。
今日の数学界では高い評価を得ているが構築した理論の難解さもあり、世間一般ではその激動の人生の方が著名である。
生涯
幼少期
1811年10月25日、パリ郊外の町ブール=ラ=レーヌにて生まれる。父は公立学校の校長(後、同町の町長)で母は親類が法学や古典の教授で教養のある人物だった。その他に2歳年上の姉と3歳年下の弟が家族にいた。暖かい家庭であったという。
12歳まで母親の教育を受け、1823年からはパリの名門リセ(日本でいう高校)である寄宿制のリセ・ルイ=ル=グランに入学する。
学生時代
入学当時、学校の校長は保守・宗教的な思想であり学生との間でしばしば対立が起きていた。ガロアの過激な性格はこれに影響されたといわれている。学業面においては入学1年目は優秀で特に語学に秀でていたという。しかし2年目には学業を疎かにし、留年。
時間の余ったガロアは授業で退屈つぶしで数学を選択した。当時のフランスでは数学は重要視されていなかったがガロアはそれに熱中し、2年分の参考書を2日で読んだそうである。なぜこんなハイスピードで読めたかというと、ガロアは参考書の定理を読むと証明がすぐ思いついたため証明の説明を読む必要が無かったからである。なにそれこわい。学校は「数学への熱狂に支配されている」と評価している。1828年理工科学校に受験するが見事に失敗。
同年にガロアは飛び級で数学特別級に進級した。その時に方程式に関する論文を出すよう数学教師から勧められ、1829年4月1日に17歳で最初の論文を発表する。その1ヶ月後にはまた別の論文を作成し、学会に提出しようとするが論文を預けた人が紛失してしまった(俗に言う無能)。
そのショックに加え父が事実無根のスキャンダルによって精神を病み自殺。さらに追い打ちをかける様に1ヶ月後には前回受験した学校の受験に失敗する(この時彼はある伝説を作るが後述)。そのため第2志望の師範学校(教師育成学校)に入学する。数学は入学2ヶ月で卒業相当という結果になるが、一方で物理は「知らなすぎる、馬鹿にしてんのか」というレベルだったそうだ。
入学から4ヶ月後には「卒業後は10年間教師やりますので学費支給してくださいお願いします(意訳)」という契約書を書いている。また、この契約書を書く前に論文をまた書くが、預けた相手が急死したため紛失(なにこのデジャヴ)。また、共和主義者に出会ったことで共和主義に傾倒していったガロアは、フランス7月革命が起きた時に自分も参加しようと試みた。しかし学校側がそれを許さず、武器を手にして革命に参加し戦火に身を投じた理工科学校(第一志望の学校)とのあまりの対応の違いにガロアは学校に怒りを覚えた。そこでガロアは堂々と学校の批判を学校新聞で行ったが、1831年、逆に退学させられた。
革命家時代
知人のつてでなんとか数学の講義をする場を与えられたり、やっと2度紛失した論文を提出したガロアだが私生活は荒れ、知人からは「とうとう発狂した」と思われていた。またこのころの言動として「もし民衆を蜂起させるために誰かの死体が必要なら、僕がなってもいい」と言っていたという(完全に死亡フラグ)。
1831年には「国王殺そうぜ!」的な趣旨の発言をして逮捕された。1度目は弁護士の努力でなんとか無罪になりはしたが、その後また逮捕されて禁固6ヶ月となった。逮捕中には送った論文が「説明不十分で理解できないから、もっとわかりやすく書き直して欲しい」と返事を返されたり(理由は後述)、他の囚人からいじめを受けたり、失恋をする等散々な目にあった。そのためこの頃の彼はひどく老け込んで不健康だったそうな。
決闘と死去
「つまらない色女に引っかかって友人に決闘を申し込まれた(意訳)」という手紙を知り合いに送っている。この決闘がガロアの運命を決めた。決闘前夜5月29日の夜ガロアはある手紙を残している。それが記事冒頭にある「僕にはもう時間がない」と書かれた手紙で多くの数学のアイデアが書かれていた。
そして5月30日の早朝にパリ近郊の沼地で決闘をし、見事に敗北。午前9時ごろ近くの農夫に発見され病院に搬送。翌日5月31日に腹膜炎を患い死去。最後の言葉は泣く弟に言った「泣かないでくれ。二十歳で死ぬのには、ありったけの勇気が要るのだから!」だった。この一連の流れは不可解な点が多いことから陰謀説が囁かれている。葬儀には3000人近くの共和主義者が来たが墓の場所はいまだに分かっていない。
業績
彼の業績は生前、死の直後は一切評価されなかった。ガウスを初めとする名だたる数学者に論文を送ったが誰も理解できなかった。
まあ、これについてはガロア自身の問題もある。ここまでに書かれた経緯から何となく想像がつくと思うが、彼の論文は全く新しいことをやっているのに説明が雑で「分かれよオラ!」的なところがあり、理論云々以前にちゃんと読んでもらえる内容ではなかったのだ。ガウスに至っては送られた論文の封を切ったかも怪しく、いかな天才的素質があろうと最低限のコミュ力がないと相手にされないという身も蓋もない現実がそこにあった。
実は当時の関係者にも才能そのものはある程度見込みがあると思われていたようなのだが、一方で論文が却下された理由はというと「何が書いてあるか分からんし全然明解じゃない。なんかすごい理論の一部みたいだけどきちんと説明して再提出(意訳)」で若い学生にありがちな説明不足が原因であった。たまたま論文を手に入れたリウヴィルが発掘していなければ間違いなくそのまま埋もれていたところである。
しかし死の数年後には非常に高い評価を受けることとなる。
彼の業績は代数学の金字塔「ガロア理論」を作ったことや近代数学において重要となる「群」を発見したことである。
著名なものでは5次以上の方程式には解の公式は存在しないことを証明したことである。正確に言うと、5次方程式の問題自体は数年前にアーベルが解決していたのだが、この時は一種の職人技だったため方程式の性質を完全に解き明かしていたわけではない。これに対してガロアのアプローチは極めて現代的で、方程式に対応する群の情報を見ることで、どんな時に解があり、どんな時にないのかを完璧に説明できるという画期的なものだった。
また、死の前日の手紙に書かれているアイデアが後の発見に繋がったということもあった。
なにより凄いのはこれ等を高校生~大学生程度の年齢で見つけたことである。完全にバケモノじゃん。
備考
彼は2度目の受験にて面接官に向かって黒板消しを投げつけるという伝説を作る。
二回目の口頭試験で試験官が対数に関する愚問をしつこく出し、更にガロアの答えに満足しなかったために、ガロアは怒り試験官に対して黒板消しを投げつけた、というもの。
さすがガロア!おれたちにできない事を平然とやってのけるッ そこにシビれる!あこがれるゥ!