概要
ゴットフリート・フォン・ベルリヒンゲン(1480年11月15日~1562年7月23日)
フェーデ(私闘)を悪用し身代金で財を築く。戦争で右手を失い、精巧な義手を使用していた事から「鉄腕ゲッツ」と呼ばれた。
回想録として「鉄腕ゲッツ行状記」を残す。これを基にゲーテが24歳の頃、彼を主人公とした戯曲『鉄の手ゲッツ・フォン・ベルリヒンゲン』を書いている。
略歴
1480年11月15日、ベルリヒンゲン(バーデン=ヴュルテンベルク州シェーンタール町)の下級帝国騎士の家に誕生。少年時代から乱暴者だった。
1495年、神聖ローマ皇帝マクシミリアン1世が永久ラント平和令を制定し、フェーデを禁止した。
1498年、騎士コンラートに見習い騎士として仕える。ブランデンブルク=アンスバッハ辺境伯フリードリヒ2世の小姓として数々の戦争を経験。荒くれ者だったので塔に軟禁されるほどだった。
1500年、騎士の修行を終え、老騎士ハンスと行動し、因縁をつけてフェーデで身代金を巻き上げる遣り口を学ぶ。
1504年、バイエルン=ランツフート公国の継承戦争にアルブレヒト4世(マクシミリアン1世が支持)側で参加。敵の砲撃で右手首から先を失うが、精巧な鉄の義手で剣をあやつり「鉄腕ゲッツ」の異名をとる。誘拐、強盗、恐喝、追いはぎを繰り返し「強盗騎士」と呼ばれ、ケルン大司教、ニュルンベルク市なども被害に遭う。1512年、1518年に帝国アハト刑(財産没収と法的権利剥奪)を受けるが無視。
1519年、ヴュルテンベルク公ウルリヒに仕える。シュヴァーベン同盟との戦いで捕虜となり、3年間監禁された。犯罪で稼いだ金でホルンベルク城(バーデン=ヴュルテンベルク州)を買って城主となり、ゲッツ・フォン・ベルリヒンゲン・ツゥ・ホルンベルクと改名。
1524年、ドイツ農民戦争で農民側の隊長となって戦う。
1525年、農民軍に略奪を禁止したのに言うことを聞かないのでケーニヒスホーフェンの騎士軍との戦いにはばっくれて現れず、農民軍が大敗北を喫する。ゲッツは2年間の幽閉生活、その後10年近い軟禁生活を送る。その後は神聖ローマ皇帝カール5世に従い、フランスやオスマン帝国との戦争に従軍。
1544年、現役を引退。自伝を執筆。
1562年7月23日、ホルンベルク城で死亡。
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表記揺れ
- ホルンベルク城⋯彼の居城。いまも現存しており、ゲッツの義手が展示されている。