本名:チャールズ・ユージン・ウルフ・ジュニア(1957年8月14日~1986年2月2日)
正式なリングネームは"ゴージャス"・ジノ・ヘルナンデス。
ハイランド・パーク(テキサス州)出身でイタリア系とヒスパニック系のハーフ。プロレス界屈指の美男子ながら不良系のヒールで「ハンサム・ハーフ・ブリード」の異名を持つ。
1975年、サンアントニオ地区でデビューし、デトロイト地区のザ・シークの下で修業を積んだ後テキサスに戻り、フリッツ・フォン・エリックがプロモーターを務めるダラスのNWAビッグ・タイム・レスリングに参戦。ヒールに転向し、スター選手となる。
1978年、来日し全日本プロレスの「エキサイト・シリーズ」に参戦。後半戦から特別参加したリック・フレアーに薫陶を受ける。
1981年、サンアントニオのSCWに復帰。来日し全日本プロレスの「スーパー・アイドル・シリーズ」に参戦し、ジプシー・ジョーをパートナーにマスカラス兄弟(ミル・マスカラス、ドス・カラス)やリッキー・スティムボートらを相手に活きの良いファイトをみせた。
1984年、WCCW(NWAビッグ・タイム・レスリングから改称)に参戦。
1985年、クリス・アダムスをパートナーに、フォン・エリック兄弟(ケビン・フォン・エリック、ケリー・フォン・エリック)を相手にNWAアメリカン・タッグ王座を巡って抗争を繰り広げた。
1986年、新日本プロレスへの来日が決定。しかし、来日を直前にひかえた2月4日、自宅でコカインの過剰摂取により死亡しているのが発見された。死亡日時は2月2日と推定される。