概要
本名:ジャック・バートン・アドキッセン(1929年8月16日~1997年9月10日)
少年時代に円盤投げの選手だったため握力が強く、アイアンクローを得意技とし、日本では「鉄の爪」の異名をとった。握力は一説には200kgを超えていたという。
格闘技の経験がなくアイアンクローとボディスラム以外は殴る蹴るしかできなかったが、身長193cm・体重125kgといういかつい体格のため十分な威力があった。
ダラス(テキサス州)にWCCWを設立し、NWAの会長も務めるなどプロモーターとして成功を収め、ホテルやスーパーマーケット、銀行(共同経営)なども経営し「エリック王国」と呼ばれていた。息子のケビン、デヴィッド、ケリー、マイク、クリスもアイドル系プロレスラーとして人気だったがケビン以外は次々と不慮の死を遂げ「呪われた一家」と言われた。
なお、彼の一家に起きた悲劇を実話ベースで描いた映画「アイアンクロー」では、余りに次々と彼の子供が悲劇的な死を遂げた為か実際より子供の数が1人少なくなっている。
略歴
1929年8月16日、ジューウィット(テキサス州)でドイツ系ユダヤ人の家庭に誕生。ハイスクール時代は陸上競技、アメリカンフットボールの選手として活躍。
1948年、フットボール奨学金を取得して南メソディスト大学(ダラス)に進学。
1952年、CFLエドモンドン・エスキモーズに入団。オフシーズンにスチュ・ハートのコーチを受けプロレスラーに転向。
1953年、デビュー。当初は本名でリングに上がっていた。
1958年、ニューヨークをツアー中にフリッツ・フォン・エリックに改名。ナチス・ギミックのヒールとして大暴れし、人気レスラーとなる。
1961年、デトロイト(ミシガン州)でディック・ザ・ブルーザーを破りUSヘビー級王座を獲得。
1963年、オマハ(ネブラスカ州)でバーン・ガニアを破り、AWA世界ヘビー級王座を獲得。
1966年、ダラスにNWAビッグタイム・レスリングを設立しプロモーター業も始める。NWAアメリカン・ヘビー級王座の初代チャンピオンとなった。初来日し、日本プロレスに参戦。
1973年、日本プロレス最後のシリーズとなった「アイアンクロー・シリーズ」に参戦。日本プロレス崩壊後は親交のあったジャイアント馬場の全日本プロレスに参戦するようになった。
1979年、全日本プロレスに参戦し、ジャンボ鶴田「試練の十番勝負」最終戦の対戦相手を務めた。これが最後の来日となる。
1981年、NWAビッグタイム・レスリングをWCCWに改称。
1982年、キングコング・バンディ戦を最後に現役を引退。プロモーターに専念し、WCCWは息子たちの他、ブルーザー・ブロディ、ザ・グレート・カブキ、ファビュラス・フリーバーズ、ジノ・ヘルナンデスらが活躍し、ハーリー・レイス、リック・フレアー、アンドレ・ザ・ジャイアント等を招聘して有数の繁栄テリトリーとなった。
1986年、NWAの権威が失墜したため脱退し、WCCWをWCWAに改称。
1989年、WWFに対抗するためWCWAはメンフィス(テネシー州)のCWAと合併しUSWAとなる。ダラスにおける興行を手掛けるが興行戦争に敗れ団体は消滅。プロレスリング・ビジネスから撤退した。
1997年9月10日、がんのため死去。