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1977年11月10日生まれ、アメリカ出身の総合格闘家。無差別級キングオブパンクラシスト、第7代UFC世界ヘビー級王者。ニックネームは「青い目のケンシロウ、「世界を駆けるベルトコレクター」などがある。


経歴編集

1997年デビュー。


1999年スーパーブロウルヘビー級トーナメントで優勝。


2001年UFCでのちにK-1王者となるセーム・シュルトに腕ひしぎで一本勝ち。


2002年ランディ・クートゥアに勝利し 当時史上最年少でUFC王座を獲得したが、後にステロイドで陽性反応が出たため剥奪された。


2003年近藤有己に勝利し無差別級キングオブパンクラシストとなる。同時期より新日本プロレスを主戦場とする。


2004年、PRIDEに参戦。デビュー戦でミルコ・クロコップと対戦するも肩の脱臼により1Rタップアウト負け。


2005年1年ぶりにミルコと再戦したが判定負け。


2006年PRIDE無差別級グランプリトーナメントで、エメリヤ・エンコ・アレキサンダーにV1アームロックで一本勝ち、マーク・ハントにチキンウイングアームロックで一本勝ち、準決勝ではヒョードル以外には負けた事がないアントニオ・ホドリゴ・ノゲイラと対戦し相手の土俵であるグラウンドの寝技の攻防で判定勝ちし、決勝進出。決勝ではミルコに3度目の対戦だったがTKO負け。敗れはしたものの堂々とした戦いぶりに観客から大きな拍手を浴びた。


同年大晦日、PRIDE男祭り2006でノゲイラと再戦し判定負けに終わるも、前回同様の互角の攻防を見せる。


2012年ストライクフォースワールドグランプリトーナメントで準優勝。


現在でも現役を続けつつ後進の指導にあたっている。

人物編集

大変な親日家として知られ、わずかだが日本語も話せる。

世界最強のオタクとして有名で、北斗の拳ガンダムボトムズ宇宙戦艦ヤマトなどが好きで、マクロスキン肉マンなども知っている。ドラゴンボールジョジョはあまり好きではないそう。


2019年に『bloodsport』という、勝敗がピンフォール無しのKOかギブアップのみ、ロープが張られていないリングで戦うルールの興行を開催した。


関連タグ編集

新日本プロレス:新日が総合格闘技寄りになっていたころに大会に参加していたことがある。

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