John Kenneth Wetton(1949年6月12日~2017年1月31日)
概要
イングランド出身のミュージシャン。ベーシストでボーカリスト。
「キングクリムゾン」での活動がよく知られるが、「エイジア」の大成功で大金を得た。
左利きだが右利きのフォームで演奏する。
「キング・クリムゾン」時代はフェンダー・プレシジョンベース、ハイワットのベース・アンプ、JENのDouble Sound(ファズ付きワウペダル)を愛用し、中音域の豊かなサウンドが特徴だった。
ソウルを愛好し、こぶしを効かせた哀愁あるボーカルは歌謡曲に通ずるものがあり、日本では「ウェットン節」と呼ばれ親しまれた。
来歴
1949年6月12日、ウィリントン(ダービーシャー州)に生まれ、10代前半にボーンマス(ドーセット州)に転居。シャドウズのハンク・マーヴィンに憧れ、エレキギターを弾くようになる。
1964年、ベーシストとしてソウル・バンド「コルベッツ」に加入。メンバーにはリチャード・パーマー=ジェイムズがいた。
1968年、ボーンマス大学に入学。ロバート・フリップと知り合った。
1969年、ジャズ・ロック・バンド「モーグル・スラッシュ」に加入。
1970年、「モーグル・スラッシュ」がRCAレコードからシングル『スリーピング・イン・ザ・キッチン』でデビュー。
1971年、「モーグル・スラッシュ」の1st.アルバムが発売されるが、レコード会社の都合により解散。「ファミリー」に加入する。
1972年、ロバート・フリップに誘われて「キング・クリムゾン」に加入する。
1974年、「キング・クリムゾン」が解散し、アルバム『レッド』が発売された。ロキシー・ミュージックにゲスト参加。
1975年、「ユーライア・ヒープ」に加入する。
1977年、ビル・ブルーフォード、エディ・ジョブソン、アラン・ホールズワースと「U.K.」を結成。
1980年、「U.K.」が解散。初のソロ・アルバム『コート・イン・ザ・クロスファイアー』が発売された。「ウィッシュボーン・アッシュ」にゲスト参加。
1981年、スティーヴ・ハウ、ジェフ・ダウンズ、カール・パーマーとプログレッシブ・ロックのスーパー・グループ「エイジア」を結成。
1982年、「エイジア」の1st.アルバム『詠時感~時へのロマン』はビルボード・チャート9週連続トップ、1500万枚のセールスを記録するなど、大ブレイクを果たす。
1983年、バンド内の不和でアルコール中毒になり「エイジア」を解雇され、後任にグレッグ・レイクが入った。
1984年、グレッグ・レイクが脱退したため「エイジア」に復帰したが、ウェットンと険悪なハウが脱退。アルバム『アストラ』の売り上げが振るわず、「エイジア」を解雇される。
1987年、ロキシー・ミュージックのフィル・マンザネラと組んでアルバム『ウェットン・マンザネラ』を発売。
1989年、ゲフィン・レコードのジョン・カロドナーの提案で「エイジア」が再結成するが、もはや懐メロバンドとしか見られていないと感じたため、翌年脱退した。この頃から肥満が目立つようになる。
1996年、「スティーヴ・ハケット・バンド」のメンバーとして来日。
2005年、ジェフ・ダウンズと組んでアルバム『アイコン』を発売。その後もアイコン・プロジェクトは継続した。
2006年、オリジナル・メンバーにより「エイジア」が再結成された。
2007年、心臓の冠動脈に異常が見つかりバイパス手術を受けた。
2017年1月31日、大腸癌により死去(67歳)。