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グレッグ・レイク

ぐれっぐれいく

イングランド出身のミュージシャン。「キング・クリムゾン」や「ELP」のベーシストとして知られる。
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本名はグレゴリー・スチュアート・レイク。(1947年11月10日~2016年12月7日)


概要

イングランド出身のベーシストギタリストボーカリスト

キング・クリムゾン」や「エマーソン・レイク・アンド・パーマー」のベーシストとして知られる。「キング・クリムゾン」加入までギタリストとして活動しており、ベースも指ではなくピック弾き。

青年時代はイケメンだったが、年齢を重ねるにつれ顔も体も丸くなっていった。


略歴

誕生から青年期

1947年、プール市(ドーセット州)に誕生。父ハリーはエンジニア、母パールはピアニストだった。

1957年、リトル・リチャードEPルシール』を購入し、ロックンロールに熱中。

1959年、母がギターを買い与え、ボーンマス市にあるドン・ストライクのギター教室クラシック・ギターを習わせる。ギター教室の先輩にはロバート・フリップがいた。クラシックではなく「シャドウズ」の曲を弾きたかったので1年ほどでギター教室はやめた。

1964年、セカンダリー・スクールを卒業。プール港で荷物の積み下ろしをしながらプロのギタリストを目指す。「ユニット・フォー」に加入。

1965年、「タイム・チェックス」を結成。

1967年、「ザ・シェイム」のレコーディングに参加。

1968年、「ザ・ゴッズ」(後の「ユーライア・ヒープ」)で活動しつつ、「シャイ・リムス」のデビュー・シングルのレコーディングにアンディ・マカロック、ロバート・フリップと共に参加。


キング・クリムゾン時代

1968年、イアン・マクドナルドに「キング・クリムゾン」のリード・ボーカルとして呼ばれ、脱退したピーター・ジャイルズの替わりにベースを弾く事となる。

1969年7月5日、「キング・クリムゾン」がハイドパーク(ロンドン市)でのブライアン・ジョーンズ追悼コンサートに出演し、各メディアで絶賛される。

1969年10月10日、「キング・クリムゾン」がアイランド・レコードから1stアルバム『クリムゾン・キングの宮殿』を発売。アメリカ・ツアー中、フィルモア・イーストで「ザ・ナイス」と共演し、キース・エマーソンと知り合う。


エマーソン・レイク・アンド・パーマー時代

1970年、「キング・クリムゾン」の2ndアルバムの録音中に引き抜かれ、キース・エマーソン、カール・パーマーと共に「エマーソン・レイク・アンド・パーマー(ELP)」を結成した。8月29日、「ELP」はワイト島ポップ・フェスティバルに出演し注目を浴びる。11月20日にアイランド・レコードからアルバム『エマーソン・レイク・アンド・パーマー』でデビュー。

1971年、「ELP」は5月にアルバム『タルカス』、11月にアルバム『展覧会の絵』を発売し大ヒットとなる。『展覧会の絵』は日本でもチャート・イン。

1972年、「ELP」は6月にアルバム『トリロジー』を発売。来日し、7月22日に後楽園球場、7月24日に阪神甲子園球場でコンサートを開いた。元「キング・クリムゾン」の作詞担当者ピート・シンフィールドのソロ・アルバム『スティル』が制作され、レイクがプロデュースしている。

1973年1月、「ELP」の主催するレーベルマンティコア・レコードが発足。これに伴い「ELP」のイギリスでのリリースはWEAに移動した。11月、「ELP」はアルバム『恐怖の頭脳改革』を発売。

1974年7月、「ELP」はLP3枚組のライブ・アルバムレディース・アンド・ジェントルメン』を発売。バンドのモチベーションはすっかり低下していた。

1975年、レイクのソロ・シングル『夢見るクリスマス』がUKチャートで2位になった。

1977年、エマーソンの『ピアノ協奏曲第1番』はソロ・アルバムではなく、レイクやパーマーのソロ企画と合体したアルバムとすることになり、3月に『ELP四部作』として発売された。11月、アルバム『作品第2番』が発売された。

1978年9月、メンバー全員が「ELP」解散を望んでいる状態でアルバム『ラヴ・ビーチ』が発売された。

1979年10月、「ELP」はライブ・アルバム『イン・コンサート』を発売。

1980年2月、「ELP」の解散が発表された。


ソロ活動およびELP再結成

1981年、ソロ・アルバム『グレッグ・レイク&ゲイリー・ムーア』を発売。

1983年、ソロ・アルバム『マヌーヴァーズ』を発売。解雇されたジョン・ウェットンの代役として一時「エイジア」に呼ばれ、12月からの日本ツアーに同行した。

1986年、「エマーソン・レイク・アンド・パウエル」に加入しアルバム『エマーソン・レイク・アンド・パウエル』を発売するが、コージー・パウエルが脱退しバンドは解散。

1991年、レイクはレコード会社から「売上が見込めない」と断られてソロ・アルバムを出せず、エマーソンやパーマーと話し合い、「ELP」を再結成する事にする。

1992年、「ELP」はアルバム『ブラック・ムーン』を発売。ワールド・ツアーを行う。

1993年、「ELP」はコンピレーション・アルバムリターン・オブ・ザ・マンティコア』を発売。

1994年、「ELP」はアルバム『イン・ザ・ホット・シート』を発売。

2001年、レイクは「リンゴ・スター&ヒズ・オールスター・バンド」のメンバーとしてツアーに参加。

2010年4月、レイクはエマーソンとのデュオでアメリカ・ツアーを行い、その録音は2014年にライブ・アルバム『ライヴ・フロム・マンティコア・ホール』として発売された。7月25日、「ELP」の一夜限りの再結成が「ハイ・ボルテージ・フェスティバル」で実現した。

2016年12月7日、膵臓のためロンドンで死去。


関連タグ

ベーシスト キングクリムゾン エマーソン・レイク・アンド・パーマー

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