人物
ポジションは三塁手で右投両打。
背番号は3Aオクラホマ・ファルコンズ在籍時は1番。テキサス・レイダースでは4番。W杯アメリカ代表では21番。
年齢は茂野吾郎と同い年。
幼少期
幼少期に父、ジョー・ギブソンが日本でプレーをすることになり日本に移住。
しかしギブソンの投げた死球で本田茂治は命を落としギブソンは償いのため日本に残ることを決意。
Jr.は学校で周りから死球を投げた人殺しと呼ばれたり、日本での生活についていけなくなり帰国した母と妹は事故で他界し一家離散の根本的な原因である本田親子とギブソンを恨み始めた。
マイナーリーグ
孤独の環境で幼少年時代からの長い歳月を一人で駆け抜けJr.はメジャーリーガーの道を歩みだした。
そしてファルコンズ在籍時に本田の息子こと茂野吾郎と出会う。
茂野のボールを打ち取った後、茂野が本田Jr.であることを聞き「馬鹿親子」などと答え乱闘騒ぎに。
その後、チャンピオンシップシリーズで再会したときには「次の試合で三振したら本田茂治の墓の前で土下座、ホームランを打ったら茂野がアメリカを去る」という約束をするも一戦目で三振を喫した。
そして茂野と和解をし次の試合では真剣勝負をする約束をするが、その前にメジャーに昇格をしてしまった。茂野と戦えなくなり、最初は試合にやる気をなくしていたが、メジャーの試合を全て消化してマイナーに戻ると決めメジャーの試合でホームランを決め優勝。マイナーリーグに帰ってきた。
父とも再会し左打席に立てば直球にも対応できるとアドバイスされ、父が密かに自分の試合を見に来ていたことに気付き父の愛情に気付いた。
左打席に立ち茂野のボールを捕らえるもバットを折られ三振。敗北を喫した。その後茂野に再度謝罪し墓の前で土下座をしようとしたが茂野に断られた。
W杯
父と共にアメリカ代表に選出される。
最初は父のゴネで代表入りをしたなどと馬鹿にされていたがプレーで見返した。
だがその後、父であるギブソンが心臓に病を抱えてることを知る。それでも試合に出場するギブソンを心配したJr.は監督と茂野に心臓の病を告白し、試合に出させないよう頼み込んだ。
だがベネズエラ戦にて敗退しそうになったとき、ギブソンがやる気をなくしている選手全員に怒り、出場しようとした。アメリカに対する気持ちにJr.は監督にギブソンを代表に出してもらえるよう頼んだ。その試合は勝利で終えることができたが翌日ギブソンは倒れてしまったが日本戦で途中からアメリカベンチにギブソン現れた。延長に突入しそこでギブソンが投入される。
打球が自分の胸に当たってもそこに立ち続けるギブソンを見たJr.は父を勝たせて上げて欲しいと願う。
その後父が倒れてしまうが、そのまま試合は続け茂野からサヨナラ満塁ホームラン放ち優勝、MVPにも選ばれた。
翌日父の見舞いにいったときには「ギブソンが本当のMVP」と言ってトロフィーを渡そうとするとトロフィーはいくらでも持ってると拒否された。
メジャーリーグ
序盤こそ好調だったが、5月頃から燃え尽き症候群と思われる症状を発症し、打率が落ちてしまった。以降は打率3割前後をキープしつつヒットを打つスタイルに切り替えたが、父がマイナーリーグからやり直す姿をみて本来の調子を取り戻しレイダースの快進撃の原動力となる。
リーグ優勝が決まる試合では父が所属するシカゴ・バイソンズと対戦。父には抑え続けられたが最後にはホームランを打ち取り優勝。ワールドシリーズ出場に貢献しワールドシリーズも優勝した。
ワールドシリーズ
8年後には新たにチームメイトとなった眉村健、ジェフ・キーンと茂野が所属するインディアナ・ホーネッツと対戦。
逆転されたときに監督のギブソン含め全員が諦めていたがJr.だけは諦めていなく奮闘。
しかし最後には空振り三振で敗退した。
関連タグ
ナッシュ・ゴールド・Jr、ジェイソン・シルバー…同じく日本のアスリート(厳密にはバスケットボールプレイヤー)を差別し見下ろしている悪役。特にナッシュは人種や名前にJrがつく点も同じである。ただしどちらも「MAJOR」のJr.のように悲しい過去はないようで、どちらも最後まで改心しておらず、ジェイソンに至っては敵の選手を痛ぶるという卑劣な策まで行う等、格段に性格が悪かったりする。