概要
人口は97万人(日本でいう千葉市に相当)。これでも北欧では最大の都市である。
東にバルト海、西にメーラレン湖がある水運の要所であり、「水の都」とも称される。
近現代に戦火に見舞われていないが、革新が強い風土の国ゆえか旧来からの建造物は多く残っていない。ただし市内には王宮のほか、数多くの劇場、博物館や美術館がある。そのほとんどが国立または王立である。
気候は緯度の高い北欧らしく概ね寒冷であるとは言え、緯度の割に言うほど低くも無い。一方で真夏の最高気温は30度をゆうに越えるなど温暖な傾向にある。これらはメキシコ湾流の影響が大きいが、近年では地球温暖化の影響も強いとされる。近年は冬季の降雪が無い時も増えつつある。
歴史
13世紀、メーラレン湖東の小島に砦が築かれたのが始まりとされる。外敵の侵入を阻むため島を囲むように丸太の柵が巡らされていた為に、「丸太の小島(ストックホルム)」と呼ばれるようになった。街の名称はこれに由来する。元々デンマーク領の一都市ではあったが、1523年にスウェーデン王国が独立するとその王都となった。
18世紀に入るとペストが流行、さらに大北方戦争に敗北したこともあって精彩を欠いたが、19世紀からは移民を受け入れて人口が増加し発展。現在に至る。
交通
鉄道が発達しており、スウェーデン国鉄のほか公営による地下鉄、トラム、郊外電車が存在する。
日本からの直行便が永らく無く、スウェーデンを網羅するスカンジナビア航空は唯一の直行便であったコペンハーゲン経由を推奨していたが、他社によっても経由便での利用が可能。何れにせよ第三国入国が必須となる。なお、ストックホルム・アーランダ空港から羽田空港への直行便が開設予定であったが、新型コロナウイルスの流行で延期されている。
その他
1912年にストックホルムオリンピックが開催された。前述の通り夏は暑く、加えて白夜もあり太陽光が1日中照り付けて選手の体力を奪うなど過酷な開催地となった。特にマラソンは大きく影響を開受け、多くの人間がリタイヤを強いられ、中にはポルトガルのフランシスコ・ラザロのように日射病(今でいう熱中症)によって死亡する例もあった。日本の金栗四三も同様に熱中症で倒れて沿道の農家で解放され一命を取り留めるも、意識が戻ったのは既に競技終了後であった。この時の棄権手続きの不手際により有名なエピソードが生まれるが、これについては金栗の記事を参照。
以降現在までストックホルムでは夏季・冬季の大会ともに正式には開かれていない…のだが、1956年に南半球初の五輪として開催されたオーストラリア・メルボルンオリンピックにおいて、馬術競技に使う馬の検疫に半年もの検査時間がかかる(当時のオーストラリアは畜産保護の観点から動物検疫に長期の時間を要した)という理由から、馬術のみストックホルムで開催することが決定され、まさかの理由で2度目の五輪開催(ただし競技限定)となった。
なお聖火リレーもメルボルン本大会と別に実施され、最終走区でもあるコペンハーゲンからストックホルムの区間は聖火ランナーが馬に乗って走るという演出も為されている。
余談だが、大会からおよそ半世紀後のシドニーオリンピック時点では、オーストラリアの法改正により検疫は2週間に短縮されていたため、この時は馬術も含めた全競技がシドニーで開催されている。
関連項目
魔女の宅急便:コリコの街のモデル