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1998年2月から2004年5月まで製造が行われた(販売は2004年6月まで)。

4代目シャレードが没個性だったうえに陳腐化していったため、その後継車として1から開発し直したもの。ヨーロッパオーストラリアにも「ダイハツ・シリオン」という名称で輸出された。


トヨタ自動車(トヨタ)でも1998年4月からデュエットという名称で、カローラ店にて販売された。


ただの街乗りベーシックカーのはずなのに、ダイハツがいろいろはっちゃけてしまった車である。


概要編集

前任のシャレードは、初代の発売時「5平米カー」のキャッチコピーで、オイルショック以降大きくなる一方だったコンパクトカーのあるべき姿を取り戻したエポックメイキングな車であった。しかしそのシャレードも市場の声を取り入れた結果モデルチェンジするごとに大きくなってしまい、ストーリア直接の先代である4代目ではとうとうシャレードのアイデンティティであったはずの1000cc3気筒エンジンを廃止してしまう。


それにより個性を失って販売不振になった反省から、ストーリアでは新設計のシャシーをベースに、伝統の1000cc3気筒エンジンのみを組み合わせ、そこにヨーロッパ車(特にイタリア車やフランス車)のような曲線基調のかわいらしいボディを載せた。


ちなみにこのシャシー、1998年の軽自動車規格改正に合わせて新設計されたミラの設計をかなり流用しており、タイヤサイズが145/80R13、最小回転半径がFFだろうと4WDだろうと軽トラ並みの4.3mというところにその素性が表れている。


当時では少なくなりつつあった5速MTや灰皿装備を全グレードで設定可能だったのも特徴である。


これだけならただのダイハツのコンパクトカーという話で終わるのだが…


伝説の「X4」編集

この頃、全日本ラリーや国内ジムカーナ競技では「軽ホットハッチ」の覇権争いが激化の一途を辿っていた。まずはスズキがDOHC・ターボ・フルタイム4WDモデルのアルトワークスで全日本ラリー選手権の頂点に君臨したかと思えば、ダイハツがその座をかけてミラの最上位グレードTR-XXから贅肉をそぎ落とした競技用車TR-XX X4、さらにそれを市販車ラリー用にフルチューン状態で市販化したX4Rで応酬し、スバル三菱自動車も負けじとヴィヴィオミニカで参戦するなど泥沼化の様相を呈する。


ここでダイハツは考えた。「そもそもレギュレーションって排気量だけで区分が分けられるんだから、ターボ係数1.4(当時)を掛けて1000cc未満に収まれば軽自動車ベースである必要なくね?」と。


そこで白羽の矢が立ったのがストーリアである。なにしろ前述の通りシャシーはミラの拡大版みたいなもんだからミラTR-XX X4用のパーツが流用できる。しかも軽自動車の枠に囚われないので、ホイールベースやトレッドを拡大できて運動性能が格段に上がるし、その大きさでも重量は900kgに満たないほど軽い。


こうしてストーリアの4WDモデルをベースに快適装備を軒並み引っこ抜き、ミラTR-XX用のJB-JL型エンジンを713cc(713×ターボ係数1.4=998.2で1000cc未満に収まる)にストローク拡大したJF-DET型エンジンを搭載してX4が爆誕した。


  • 何よりこのJF-DET、一説にはレガシィ用EJ20型エンジンのタービンを流用したとされ、標準ブースト圧1.2kg/cm2±0.2から120ps/7200rpmという元が軽自動車用エンジンにはあるまじき出力を発揮し、しかもタービンのアクチュエーターに備えられた調整ナットを回すだけで簡単に出力アップが可能というとんでもない代物であった。最大ブーストは初期型に至っては2.55kg/cm2まで達したが、もちろんフルノーマルでそこまで上げようもんならエンジン本体や補機類の耐久限界を軽々と突破しECUの補正範囲も無視するため、エンジンルーム内の全てを自ら破壊するマシンと化す。
    • しかもその初期型、工場の品質管理がガバガバだったせいで最初からブースト圧2.0kg/cm2だった個体もあったとか。その後流石にダイハツもやり過ぎたと思ったのか最大ブースト圧は1.6kg/cm2に抑えられ工場の品質管理も厳格になったらしいが、そもそも普通の市販ターボ車のブースト圧は0.8〜1.0kg/cm2程度である。繰り返すが元は軽自動車用のエンジンである。

登場するや否や、ダイハツの狙い通りの運動性能を発揮してアルトワークス他をあっという間に蹴落とし全日本ラリー1000cc未満クラスの上位を独占した結果、レギュレーションが1400cc未満に拡大されターボ係数も1.7に改定される事態を引き起こした。だがそれでも強かった。

ただし、流石に快適装備省略は、競技には出ないが高性能を味わいたいという物好きには厳しかったようで、後に販売店装着の後付けオプションながらエアコンとテープデッキつきラジオが用意され、前席のみながらパワーウィンドウが標準装備化された(手動式よりも軽く、安上がりという事情もあった模様)。

ちなみに親会社は後年水平対向エンジン製造メーカーで有名な子会社と共同開発したガチスポーツカーでも似たような失敗をやらかしている。


これに味をしめたのか、次代のブーンでも初代にはX4を設定。しかも今度はJAF公認1600cc未満のレギュレーションに合わせた排気量で。つまりまったく懲りてなかった。

ただし、2009年にダイハツはモータースポーツから完全に撤退したため、2代目以降のブーンにはX4は設定されていない


一方の量販グレードは編集

あろうことかX4の影響を受けてしまった。


2000年5月に最初のマイナーチェンジを受けた際、既存グレードの更に上位として「1300CZ」「1300ツーリング」が設定されることになったのだが、それに合わせて新設計されたK3-VE2型エンジンが曲者。


なんと1300ccクラスで他社に先駆けて可変バルブタイミングを装備。しかも圧縮比を高めにとり、ハイオク推奨の設計にした結果、110ps/7200rpmという「お宅はどこのスポーツエンジンですか」な高出力高回転の性能を発揮してしまう。これを積んだのが1300ツーリングだけならまだ良かった。


何をトチ狂ったのか、量販グレードであるはずの1300CZにも積んでしまったのである。


1300ツーリングと違い、1300CZはエンジン以外は1000ccグレードとほぼ同じ。サスペンションが小改良を受けているが、これは全グレードに適用されているので1300cc専用設計ではない。つまるところ、特に車にこだわりのない一般的なユーザー用の車にスポーツエンジンをブチ込むというオーバースペックな状態となった。


このチグハグな組み合わせは、2001年12月の二度目のマイナーチェンジでデチューン版のK3-VE型が設定されて1300CZと新規設定の1300CXの搭載エンジンがそちらに移り、K3-VE2型の搭載が1300ツーリングのみとなったことで解消されている。以降はこのグレード構成が続き、2004年6月に後継のブーンにバトンを渡して6年4ヶ月のモデルライフを全うした。


余談編集

実はWRCなどの国際ラリーにも出走経験がある。「当然X4でしょ?」と思ったら大間違い。

実はX4は日本国内専売のためFIAの生産台数規定をクリアできず、逆に1300ccのFFは日本国内でこそ1000ccに圧されて少数派だったものの海外では主力だったことから規定をクリア。モデルライフ末期にはWRCのラリージャパンを迎えており、1300ccFF車が輸出名の「ダイハツ・シリオン」名義で出場している。


ちなみに量販グレードの経緯はトヨタ側でも同様の内容を辿っている。ストーリアの「1300CZ」「1300ツーリング」がそれぞれデュエットの「1.3V」「1.3V S Package」に当てはまる。


ところで、何度も言う様にトヨタでもデュエットという車名で販売されたのだが、トヨタへの供給が決まった際検査してみたところ、当時のダイハツの普通車の安全基準は、軽自動車のそれに毛の生えた様なものでしかなかった。当然ながら安全基準にもグローバルなものを求めるトヨタは大激怒、安全面に関するダメ出しを行うことを余儀なくされたのだった。

これでトヨタはダイハツの普通車開発能力に疑問を持ってしまった様で、その後継車となった初代ブーンでは、表向きこそ共同開発としながらも、トヨタがダイハツに対し「こういう車を作って下さい」という脅は・・・ゲフンゲフン、ではなくムチャぶ・・・ゲフンゲフン、もとい企画を出しダイハツが開発と生産を行う、と言うスタイルを取ったのだった。このやり方は2代目ブーンやビーゴ(トヨタではラッシュという名前で販売)でも取られたが、3代目ブーン以降は行われていない。


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