概要
アメリカ生産の競走馬で、引退後は日本で種牡馬となった。
父のネイティブダンサーは22戦21勝(うち2着1回)という驚異的な戦績でアメリカ最強と言われ、「グレイゴースト(灰色の亡霊)」若しくは「グレイファントム(灰色の幻影)」の異名で知られる。
母はメリーマッドキャップ。母父は芦毛中興の祖と言われたグレイソヴリン。その影響か父の芦毛を継承している。
父の死後の1968年2月5日、アメリカで誕生。その後にアメリカではなく英仏で走り20戦5勝するも重賞を制覇することはできなかった。
競走馬引退後に日本の競走馬生産者である稗田実が購入。
「ダンシングキャップを見たときにそこから動けなくなるくらい美しかった」というのが購入の決め手となった。しかし生まれてくる子たちは競走馬になれないくらい気性が悪く、評価は下がる一方だった。
そんな中、競走馬時代にホワイトナルビーの馬主だった小栗孝一が、気性の荒い馬が生まれるのを覚悟で種付けを依頼してきた。
これにはいろいろな話し合いがあったが最終的に了承。
誕生した芦毛の仔・オグリキャップは大人しかったが右前脚が外側に大きく曲がっていた。長じて「芦毛の怪物」と言われ、地方のみならず中央でも大活躍して「第二次競馬ブーム」を巻き起こした。
ダンシングキャップはオグリキャップの笠松デビュー前の1987年4月14日に19歳でこの世を去っている。
オグリキャップ以外にも四頭の重賞馬が出ている。
フジノダンサー(ダイオライト記念、東京プリンセス賞、かしわ記念《※1》)
(※1)現在では中央・地方全国指定交流競走のGⅠレースだが、1990年に制覇した当時は南関東所属馬限定の重賞レースだった。
ダンシングキャップの血統は短距離やマイルが多くオグリキャップの評価にも影響した。
父ネイティヴダンサーと母父グレイソヴリンが互いに快速馬として知られていたためである。
母のメリーマッドキャップはイギリスG1(※2)を制覇している。
(※2)ジュライカップ。1965年に制覇しているが、この時点ではまだグレード制は存在しておらず、1971年にグレード制導入された当初はG2に指定され、その7年後の1978年にG1に昇格している。