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概要編集

カナダ生まれの奇才。主にホラー映画の世界で活動、かつては"プリンス・オブ・ホラー"の異名を取ったが、その作風は「怖がらせる」というよりは「奇妙な世界に連れて行く」といった傾向。生物学やメディア論をテーマに、ねじれた人間関係、人体の破壊と融合、性行為などを唯一無二の手法で描く。

国際的な評価は極めて高く、映画賞の常連である。出世作となった『スキャナーズ』では、超能力で人間を爆発させる様を撮り、各方面に多大な影響を与えた。『ビデオドローム』ではメディアによる人体拡張と洗脳を倒錯的に撮り、その後のビデオブームに乗ってカルト映画として拡散された。


来歴編集

1943年3月15日生まれ、トロント出身。学生時代は小説家を目指していたが断念し、映像監督に転向。短編映画、テレビ映画で経験を積む。

1975年、『シーバース』で長編監督デビュー。同作はポルノ映画として企画を持ち込んだが会社に自身のセクシャリティを理解されず、ホラー映画として日の目を見た。

1980年、『スキャナーズ』でブレイク。その後4本の続編が作られたが、クローネンバーグはかかわっていない。

1983年、スティーブン・キングの小説『デッドゾーン』を映画化。アヴォリアッツ国際ファンタスティック映画祭3部門受賞。

1986年、『ハエ男の恐怖』をリメイクした『ザ・フライ』が大ヒットする。アカデミー賞特殊効果賞受賞。

1988年、『戦慄の絆』でアヴォリアッツ国際ファンタスティック映画祭グランプリ、ロサンゼルス映画批評家協会賞最優秀監督賞を受賞。

1991年、ウィリアム・S・バロウズの小説『裸のランチ』を映画化し、全米映画批評家協会賞最優秀監督賞・脚本賞受賞。

1996年、J・G・バラードの小説『クラッシュ』を映画化し、カンヌ国際映画祭審査員特別賞受賞。

1999年、『イグジステンズ』でベルリン国際映画祭銀熊賞、アムステルダムファンタスティック映画祭銀賞を受賞。

2002年、カナダ最高の勲章であるオーダー・オブ・カナダオフィサー受勲。

2005年、『ヒストリー・オブ・バイオレンス』で、全米映画批評家協会賞の監督賞受賞。

2007年、『イースタン・プロミス』で第32回トロント国際映画祭観客賞を受賞。

2018年、ヴェネツィア国際映画祭で栄誉金獅子賞を受賞。


作品編集

監督編集

『シーバース』1975年

『ラビッド』1977年

『ファイヤーボール』1979年

『ザ・ブルード/怒りのメタファー』1979年

スキャナーズ』1981年

ビデオドローム』1983年

『デッドゾーン』1983年

ザ・フライ』1986年

『戦慄の絆』1988年

裸のランチ』1991年

『エム・バタフライ』1993年

『クラッシュ』1996年

『イグジステンズ』1999年

『スパイダー/少年は蜘蛛にキスをする』2002年

『ヒストリー・オブ・バイオレンス』2005年

イースタン・プロミス』2007年

『危険なメソッド』2011年

『コズモポリス』2012年

『マップ・トゥ・ザ・スターズ』2014年

『クライムズ・オブ・ザ・フューチャー』2022年


出演編集

『眠れぬ夜のために』1985年

『ミディアン』1990年

『誘う女』1995年

『ジェイソンX 13日の金曜日』2002年

『バーニーズ・バージョン ローマと共に』2010年


その他編集

1999年の第52回カンヌ国際映画祭で、クローネンバーグは審査委員長を務めた。この回には北野武が『菊次郎の夏』を出品していた。同作は会場で大絶賛を受け、パルム・ドール(最高賞)候補とも言われたが、受賞は逃した。この件について、たけしは1995年の『みんな~やってるか!』で『ザ・フライ』の原典である『ハエ男の恐怖』のパロディをやったのでクローネンバーグが怒って賞をくれなかったのだろう、と因縁をつけている。


関連タグ編集

映画監督


外部リンク編集

デヴィッド・クローネンバーグ - Wikipedia

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