1、1871年1月18日のドイツ帝国成立
本記事では1、について説明する。
概要
バラバラのドイツ
17世紀に起こった三十年戦争で300の小国の集まりとなっていたドイツは、ナポレオン戦争によって39の君主国と自由市からなる「ドイツ連邦」として存在していた。
19世紀中盤に入りドイツ統一の動きが出始めたものの、連邦構成国のみによる統一を図る「小ドイツ主義」とそこにドイツ系住民が多いオーストリア帝国を加える「大ドイツ主義」がぶつかり、考えがまとまらない状態が続いていた。
ビスマルクの登場
1862年にプロイセン王国の首相となったオットー・フォン・ビスマルクは、軍備拡張によってオーストリアを打破したうえでのプロイセン主導によるドイツ統一を掲げ(鉄血政策)、1864年のシュレスヴィヒ=ホルシュタイン戦争でデンマークを盟主としていたシュレスヴィヒ、ホルシュタイン両公国を奪い取り、1866年の普墺戦争でオーストリアに勝利したことでドイツへの影響力を排除することに成功した。
それでもなおプロイセン主導によるドイツ統一に反対するバイエルン王国などの国々も存在していたが、それも1870年に起こった普仏戦争を「全ドイツ民族共通の敵に対する戦争」と定義することでナショナリズムを形成させることに成功した。
ドイツ帝国の成立
1871年1月18日、普仏戦争の勝者となったプロイセン国王ヴィルヘルム1世はヴェルサイユ宮殿の鏡の間で「ドイツ帝国皇帝」の戴冠式に臨み、ここにドイツ統一は成ったのである。