プロフィール
性別 | 牝 |
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毛色 | 鹿毛 |
誕生日 | 2004年4月10日 |
死没 | 2023年11月15日 |
父 | メイショウオウドウ |
母 | ゴールデンタッソー |
母の父 | Tasso |
5代内のインブリード | ノーザンダンサー4×4 |
産地 | 北海道浦河町 |
管理調教師 | 加藤和宏(美浦)→井上哲(名古屋)→上杉昌宏(大井)→小野寺晋廣(小林)→井上哲(名古屋) |
生産者 | 富菜牧場 |
馬主 | 中脇満→服部照雄→(株)IMPACT→三原公子 |
略歴
2006年に府中開催の新馬戦でデビューするも12着に沈み、2戦目でも13着。年明け3歳2月のダート未勝利戦では3着に入る健闘を見せ、6月までダート未勝利戦を3戦するも勝利を手にすることは出来ず、中央登録を抹消される。
登録抹消後は地方競馬に移籍。名古屋競馬場の井上哲厩舎に移籍したヒカルアヤノヒメは笠松で地方初戦に挑み3着。地方2戦目からは名古屋競馬場で走り2着。地方3戦目で初勝利を挙げる。
4戦目では掲示板外となるが、5戦目では勝利。この時1着ヒカルアヤノヒメは8番人気、3着に10番人気が入ったことで3連単は大いに荒れ、3連単の払戻金額が2,995,840円を記録。この配当金は当時の名古屋競馬場最高記録である。
その後大井競馬場の上杉昌宏厩舎に転厩。大井への転厩初戦でも勝利を挙げ、その後は小野寺晋広厩舎(小野寺厩舎は千葉県印西市にある大井競馬小林牧場に所在)に移り、C2級で2勝して名古屋へと戻った。
名古屋復帰後は安定した走りを見せ、2010年は年間で26戦5勝を挙げる。しかし翌2011年から勝ち星が遠くなり、2013年まで未勝利が続く。2014年には10歳を迎えるヒカルアヤノヒメもそろそろレースから引退させようとオーナーは考え始めていた。
2014年5月、ヒカルアヤノヒメは3年半ぶりの勝ち星を掴み、7月も勝利。翌年8月には11歳で勝利を挙げ、2016年8月には通算200戦を達成する。
普通の競走馬なら能力のピークなど既に遠い過去のものとなっていたヒカルアヤノヒメは毎年20戦以上を頑健に走り、時たま馬券に絡む走りも見せていたが、2018年4月、レース中に他馬の跳ね上げた石が右目に入って失明寸前の負傷を負い、脚の怪我から熱発し、関係者の誰もが一時死を覚悟した。
しかしヒカルアヤノヒメは奇跡的に回復し、11月にレースに復帰。復帰戦では能力のピーク真っ只中の若駒相手に4着と健闘する。
2021年12月22日に通算300戦を達成。18歳を迎えた2022年1月のレースでは鞍上に塚本征吾騎手を迎えた。塚本騎手はこの時17歳。馬よりも歳下の騎手が鞍上を務めるということでちょっとした話題になった。8月には蟹江警察署の防犯キャンペーンで1日警察馬を務めるなどしている。
なおここまで現役生活が長く続いているのは、地方移籍の際にオーナーが変わった事でオーナーと牧場のつながりが途切れてしまい、引退させて繁殖入りの機会を逸してしまったためだという。
2023年4月10日のレースを最後に休養に入っていたが、2023年11月15日、心不全の為急死した。
関連項目
ミスタートウジン:中央競馬における最高齢出走記録(15歳、現表記14歳)を持つ競走馬。