曖昧さ回避
- 藤三郎行光の打った短刀。この項目で記述する。
- 1の刀剣を元ネタとした、ブラウザゲーム「刀剣乱舞-ONLINE-」に登場する刀剣男士。→不動行光(刀剣乱舞)
- 同じく1の刀剣を元ネタとした、メディアミックス「天華百剣」に登場する巫剣。→不動行光(天華百剣)
概要
鎌倉時代の刀工、藤三郎行光作の短刀。長さは25センチくらい。
櫃の内に梵字、蓮花、不動、童子の彫物。なかごに「行光」の二字銘。
由来は表の櫃の中に不動明王とその眷属である矜羯羅(こんがら)、制多迦(せいたか)の両童子を浮彫にしているところから。
矜羯羅童子と制多迦童子は不動明王の従者「八大童子」に含まれるが、不動明王とこの2体を両脇に従えた三尊をとくに「不動三尊」と呼び意匠として使われることが多い。
かの織田信長が所有していた愛刀の一つでもあり、これを非常に自慢していた(ちなみにこのヒト、相当な名剣コレクターとでもいうべき一面もあった)。酒に酔って気分が良くなると、膝を叩きながら、「不動行光、つくも髪、人には五郎左御座候」とよく歌ったという。
とりあえず「わたしはいい部下と素晴らしい名品に恵まれたのだなぁ」とでもいった感じだと思えばいい。
そのつくも髪とは「九十九髪茄子」という茶壺、五郎左は俗に織田四天王に数えられる名将・丹羽長秀(五郎左衛門尉)のことである。
九十九髪茄子はもとは東山御物=足利義政がコレクションしていたアイテムの一つで、巡りめぐって所有していた松永弾正(松永久秀)が臣従の証として献上したのは永禄11年(1568年)。この歌はその頃の話となる。
信長は小姓の中でもとくに才能を愛した小姓頭森蘭丸にこの不動行光を与えている。その際のエピソードとして伝わる話が以下。
ある日信長が家来達を集め、「この刀に彫られた花びらは何枚だと思う?当てたらこいつをくれてやる」というゲームを開催した。周囲が口々に予想する中、ただ一人だんまりを決め込む蘭丸。
「どうした、気分でも悪いのか?」という信長に対し、蘭丸は申し訳なさそうに「実はですね…僕、この花びらが何枚あるか数えたことがあるんで知ってるんですよ。だから僕が答えるのはズルい、でもとぼけるのも気が引けて…それでずっと黙ってました」と答えた。
その正直さに感心した信長は「ほう……その素直さ、大いに結構!お前たち、異論はあるまいな?」と不動行光を譲ったという。
諸君も知っての通り、蘭丸は本能寺の変で信長に殉じたため本刀も焼身となった。しかし現存しているらしく、個人が所有する形で現在まで残っている。