経歴
多摩美術大学美術学部油画専攻卒業。大学では漫画研究会に所属していた。
卒業後は同大学の大学院を受験するも合格せず、一年ほど研究生として在籍して絵を描いていた。この頃将来について考え、幼少期から漫画好きであったことや、漫画研究会での経験などからプロの漫画家になることを決意。本格的に漫画の執筆をするようになり、出版社への持ち込みや漫画賞への投稿を始めた。
描き始めの頃はひどく貧しく、クーラーも冷蔵庫も風呂も無い部屋で漫画を描いていたという(『僕らの変拍子』バーガーSC版より)。
1992年、コミックバーガー(後のコミックバーズ→バーズ)にて十目傾(とおめ けい)名義で発表の『六畳劇場』でデビュー。しばらく同誌で読み切り作品を発表。
1993年、月刊アフタヌーンにて、冬目景二(とうめ けいじ)名義で発表の『KUROGANE―クロガネ―』で四季賞を受賞。
1995年、コミックバーガーで『ZERO』を連載したのちに『羊のうた』を連載を開始。1996年にはモーニング増刊OPENで『黒鉄〈KUROGANE〉』の連載を開始する。
その後は活動の幅を広げ、様々な雑誌に作品を発表しており、複数誌で同時に連載を持つことも多かった。しかし、読み切りやイラストなど連載漫画以外の活動も活発であり、アシスタントを配置せず基本的に一人で執筆していること(※1997年・1999年にはスクリーントーンを貼るための要員が一人いたことに触れている)もあって執筆スピードはそれほど早くなく、連載が中断するケースがしばしばある。例として『黒鉄』は12年もの中断を挟み連載誌が変更された上で『黒鉄・改』と改名、『LUNO』に至っては中断を経て後に完結扱いとなっている。
『イエスタデイをうたって』については、たびたびの休載や掲載誌の移籍を挟みつつ、2015年に無事完結している。連載期間はおよそ17年に及び、これは冬目最長の連載となった。
本人は不定期の連載ペースについて単行本などでネタにしたり読者に向けて謝罪したりしており、『イエスタデイをうたって』連載終了時には「辛抱強く待ってくれた読者が居たから完結できた」と感謝の意を表明している。
作品のメディアミックスについては『羊のうた』が実写映画化・OVA化されたほか、『イエスタデイをうたって』がテレビアニメ化されている。
2005年から2011年まで及び2014年と2018年には東京・神宮前の画廊「青山GoFa」で個展を開催している。
2021年12月からはグランドジャンプにて『百木田家の古書暮らし』の連載が始まった。
エピソード
デビュー当時は「冬目景二」という男性名であり、現在も男性目線の作風や中性的な画風から男性に間違えられることがある。
作画は基本的にアナログで行っており、あえてペンのかすれやインク溜まりを活かした画風が特徴である。なお2000年発行のムック誌のアンケートでは、ペン入れに父親からもらった万年筆を使っていると答えている。『LUNO』では漫画本編やカラーのイラストもデジタルでの作画であったが、本人は「やめておけばよかったかな」と当時のインタビューで触れている。
特に初期のカラーイラストでは、アクリル絵の具などを利用した油絵に近い重厚なタッチであった。2000年代後半からは、アナログ作品をパソコン上で加工(効果の付与や色彩の補正など)する形で制作しているという。
思春期の少年少女を話のメインに据えることが多く、日常のなかに少しだけファンタジー(魔法や妖怪のようなものというよりは、非日常性、という意味)を取り入れた世界観で情景を描いた作品が知られている。本人は、デビュー時から描きたい作品について「地に足がついてない感じがするもの、日常の中の非日常のようなもの」とコミックバーズのインタビューで言及している。
コミックナタリーの紹介ページでは「力強いタッチかつ叙情的な繊細さを合わせもつ画風で、思春期の情感あふれる物語を描き人気を博している。」という記述があった。
沙村広明、玉置勉強は大学の後輩で、コミックマーケットで合作の同人誌を出したこともある。当時は会場で本人を目にすることも可能であった。余談だが、彼女の初期同人誌は現在ではプレミアがついている。
また、デビュー前後には大学の先輩である山田玲司のアシスタントをウエダハジメらと共に経験したこともある。
高橋留美子のファンで、小学館の「ラクガキ大会」ではラムなど多数の落書きを残している。