概要
刀腰婦、帯剣女、別式などとも称される女性武芸者のこと。江戸時代にこの用語は完成した。
そもそも武家の女性は単なる政略結婚の道具に非ず、いざという時には自らの身を守れるよう武芸を嗜まされる者も多かった。最も平安時代の巴御前(非実在説あり)や、戦国時代の鶴姫(こちらは鎧も残っている)のように刀ぶん回して最前線で闘うような人は例外中の例外であり、あくまで自衛の手段の一つであった。
やがて江戸幕府が開かれ日本から戦争が無くなると、士農工商(あくまで武士か平民かって感じだったらしいが)における支配者階級たる武家は「武士」としてのたしなみである武芸をより尊重するようになった。いわば殺人術ではなく一種の求道としての武術である。
こうした中で「女性であっても軟弱である必要はない」という思想が生まれ、眉も剃らず歯も染めず、袴を履いて腰に刀を差すという「男装」じみた格好をした女性武芸者が次第に増え始める。その第1号が古河藩の剣術指南役佐々木累である(某巌流とは無関係)。彼女は同藩の剣術指南役の娘として生まれたが一人っ子であり、父が亡くなったことでお家は断絶、そのまま剣術指南役の後継者となってしまった。彼女は羽織袴姿で男たちに剣術を教え込み、やがて夫(元同僚)を娶り(?)、佐々木家の再興を果たしたらしい。
その後、寛永期には各藩で武家の女たちが佐々木同様の剣術・武芸指南を行うようになり、多い時には17人もの別式女がデビウしたという。その他、下町の道場なども含めれば数限りないほど女性武芸者がいたとされる(坂本龍馬の姉弟子である千葉さな子とか)。
なお、これらの事象は別に男女同権とか言うわけではなく他にいなかったからという消極的理由が大多数を占めていた。