概要
アメリカ海軍が第二次世界大戦後に設計・建造した最初の巡洋艦で、世界初の原子力水上戦闘艦。同型艦はない。艦名はカリフォルニア州ロングビーチ市に因む。
旧来型の「クルーザー船体」と呼ばれる細長い船体と、初期のフェーズド・アレイ・レーダーを搭載するために四角く肥大化した艦橋を併せ持っており、アンバランスな外見が特徴的。
このレーダーは「スキャンファー・システム」と呼ばれる防空システム一種で、現在のイージス・システムの元祖に当たるシステムである。非常に先進的かつ協力な防空システムだったが当時の技術では一つのレーダーで捜索と追尾を同時に行うことは不可能で、捜索用のAN/SPS-32(横長)と追尾用のAN/SPS-33(縦長)に分かれていた。また、当時はまだ半導体が普及しておらず、代わりに大量の真空管を使用してるのだが、過酷な環境下で使用される軍艦においては交換頻度が高く、一度に大量の真空管を交換しなければならなかった為、専属の作業員を常駐させなければならないほど整備性が悪かった。最大の問題は重量であり、レーダーと一連のシステムを揃え、なんと48tの重さがあった。この為極めてトップヘビーであり、回頭の際は船体が大きく傾いたという(もっとも、トップヘビーに関しては現在のイージス艦にも通じる問題である)。
スキャンファーはロングビーチとエンタープライズ用に2セットが製造されたが、先述した整備性やコスト面の問題からロングビーチは1989年の改装時に、エンタープライズは1982年の入渠時に撤去されている。
ちなみにロングビーチは後継システムであるイージス・システムに換装して原子力イージス艦にする計画もあったのだがコスト問題で立ち消えになった(イージス・システムの提唱者であるウェイン・E・マイヤー少将は元々原子力推進艦にイージス・システムを積みたかったらしい)。
当初は搭載する武装全てがミサイルのオールミサイル艦として作らたが、ジョン・F・ケネディ大統領の命令により結局38口径5インチ砲を2基設置した。原子炉は2基が搭載されており、30ノット(56km/h)超での航行が可能だった。
1964年5月には世界初の原子力空母「エンタープライズ(CVN-65)」、同じく原子力ミサイル巡洋艦の「ベインブリッジ」とともに第1原子力機動部隊(Task Force 1)を結成し、7月から燃料無補給航海を行うシー・オービット作戦を実施。
その後はベトナム戦争に参加し、スキャンファー・システムを能力をフル活用して防空任務を全うし、1989年までの一連の改装時にスキャンファーを撤去し、代わりにCIWSとハープーン、トマホークを装備。湾岸戦争にも派遣された。