吉行淳之介(よしゆきじゅんのすけ)は日本の小説家。第三の新人の一人。
連続テレビ小説『あぐり』のモデルになった美容師の母、吉行あぐりの実の息子。また、女優の吉行和子と吉行理恵は実の妹にあたる。一家ともども文筆に縁があり、彼もどんどん文才を発揮させていった。
そして、昭和の谷崎潤一郎と揶揄されるほど好色として知られた。
概要
生まれは岡山市だが、生まれてすぐに両親が上京したため、千代田区の麹町で育つ。若い頃は、そこまで勉強はできず、受験に失敗し麻布中学から静岡高校へ進み、文学に興味を持つ。その後、応召を受けるが気管支喘息の持病があったため、すぐに還される。その間に学力を伸ばし、東京大学に進学するも学費未納で退学処分を受ける。
しかし、アルバイトがてら入社した出版社で、のちの文友となる安岡章太郎、島尾敏雄、近藤啓太郎らと出会う。その後は結核のせいで会社退職を余儀なくされるが、『原色の街』が芥川賞候補になると、のちの『驟雨』で今までの実績も込めて半ば温情に近い形で芥川賞受賞(5回めの投稿で、審査員からももうこれ以上は送ってくるなと言わんばかりに、これで投稿活動から卒業してほしいなどという、なんとも微妙な評価でもあった)。ただ、そこで甘んじることなく『不意の出来事』で新潮社文学賞、『靴の中身』で読売文学賞、『暗室』で谷崎潤一郎賞、『夕暮まで』で野間文芸賞を受賞するなど、その実力を磨いていき、名実ともに昭和を代表する小説家となっていく。
晩年は病魔に冒されつつも執筆活動を続けた。1994年に肝臓癌によって病没。
人物
吉行淳之介といえばとにかく好色としても知られ、遠藤周作からは井原西鶴『好色一代男』になぞらえて、吉行世之介などと呼ばれていた。そして、若い頃は文学仲間を次々女遊びに誘い、彼らをその道に踏み込ませていたなど、あらゆる意味で第三の新人世代に影響を与えた、いわばインフルエンサーでもある。モテすぎるあまりに彼の私小説の中には「別れた女から無数の下着が送り込まれてきた」というようなエピソードもある。その一方で、モテすぎる余りの女性恐怖症になっている節も見受けられた。それでも彼とその作品には女性ファンが多かった(当時の文芸は男性視点のものが多く、女性視点のものは少なかったため)ことでも知られる。
ちなみに彼には若くして配偶者もいたが、別居し女優の宮城まり子と事実婚、他に何人も愛人とその落とし子がいることを知っていながら、生涯、最初の妻と離婚することはなかった。
主な作品
- 『驟雨』 芥川賞(他となっているのは、今までの投稿作品も加味してという意味)
- 『原色の街』
- 『不意の出来事』 新潮社文学賞
- 『暗室』 谷崎潤一郎賞
- 『靴の中身』 読売文学賞
- 『砂の上の植物群』