概要
一般的には四書は孔子の死後弟子達が言動をまとめた「論語」、孔子の弟子曾子によって作られたとも秦漢の儒家の作ともいわれる「大学」、孔子の弟子子思の作であるとも戦国時代の無名の儒家の著作であるともいわれる「中庸」、孟子の逸話・問答の集成である「孟子」、五経は占いである六十四卦の説明とその解説書である「易経」、尚書とも呼ばれ堯舜から夏・殷・周の帝王の言行録である「書経」、西周時代、当時歌われていた民謡や廟歌をまとめた「詩経」、行事のなかで規定されている動作・言行・服装・道具等や礼に対する問答などをそれまでの文献からまとめた「礼記」、春秋時代に関する編年体の歴史書「春秋」であると知られている。
五経の成立に関して
五経は時代によりその内容が変化しているとされる。
古代
荘子などの文献においては、詩・書・易・春秋・礼・楽をさして六芸( または六籍・六経 )と呼ばれていたとの記述が存在し、そのうち楽経は音楽理論とも儀式音楽そのものであるとも詩経の音の部分であるともいわれるが、秦による焚書坑儒などにより亡佚したとされ、注釈のみが礼記に残されている。
前漢
詩・書・易・春秋・儀礼( 礼の別の解説書、下級支配階層に関して詳しい )が該当するが、現在伝えられているものと内容は異なる点が存在し、例えば詩に関しては別の戦車によるものが用いられている。
唐
唐時代にはこれらの解釈が分かれたため、それを統一する目的で『五経正義』が編まれ、これにより五経は現代のもので確定したものの、他の注や義疏が亡佚する結果となった。
宋時代
宋代になると、新たな解釈も生まれ、それまで『周易』『尚書』『毛詩』などと呼ばれていた名称を『易経』・『書経』・『詩経』と改め、『儀礼』・『周礼』・『礼記』・『春秋』三伝( 『春秋公羊伝』『春秋穀梁伝』『春秋左氏伝』 )などの経書とともに儒教の経典として尊重されるようになった。
四書
一方四書は変化は見られないとされ、宋代には、儒教の新たな一派である朱子学を起こした朱熹らにより、それまで評価が高かった『礼記』の一篇であった『大学』と『中庸』を独立させ、『論語』と『孟子』に加えて四書と称し五経以前に読むべき入門の学として広め、五経と共に儒教の経典とした。