夢想権之助
むそうごんのすけ
生没年不詳。宮本武蔵と同世代とすれば安土桃山時代中盤~後半の生まれ。
姓は山本、諱は勝吉。『武芸流派大事典』(綿谷雪、山田忠史)によれば平野家の生まれ、諱は権兵衛だったという。
兵法三大源流と呼ばれる新富流の武道家であり、櫻井吉勝に兵法を学んだ後に長い杖を使う神道夢想流の開祖となる。「突けば槍 払えば薙刀 打てば太刀」という通りのオールラウンドな戦い方を開発した。
宮本武蔵とも戦い、一度は敗北したものの雪辱戦を経て白星を挙げたと言われている。
権之助が開祖となった杖術流派。
宮本武蔵と対戦するも1度目は敗北を喫し、諸国遍歴の武者修行の末に筑前国竈門神社のある宝満山に篭って修行する。そして山の神の使いである童子が夢枕に立ち「丸木を以って水月を知れ」とお告げを受ける。
夢から醒めた権之助は、早速お告げに従って、自身の身長には足りないほどの長さの杖術用の棍棒を削り出して修練に励んだ。
その後、武蔵と再戦し雪辱を果たした。
なお武蔵の伝記として知られる『二天記』では1度目の対戦の記録しかないが、神道夢想流の口伝では再試合で打ち負かしたとしている。
【突けば槍 払えば薙刀 打てば太刀 杖はかくにも外れざりけり】
――の流歌で知られ、状況に応じて多彩に変化する柔軟さを柱とする。
本来なら「勝つ=殺す」という前提が強い日本武器術において、捕手術を含む非殺傷の技を多く伝える珍しい流派でもある。
その甲斐あって、現代でも古流派杖術として現存し、その血脈は警察機動隊の逮捕術にまで受け継がれている。
吉川英治『宮本武蔵』
いわば日本人の想起する夢想権之助のイメージはこれである。
老いた母と共に旅を続ける武芸者で、一度は武蔵に敗れるも、修行の末に再び武蔵と戦い引き分けた実力者。
再試合では武蔵が一撃を叩き込んで決めたものの、すんでのところで鳩尾に権之助の突きが入り、その痕を残していた。後僅かでも押し込まれていたら――と過った武蔵は「負けた!」と悔しがり、自身こそが敗北したのだと権之助の武練に戦慄した。
ファンの間では、二天記に添わせつつも神道夢想流の口伝も蔑ろにしない、吉川英治なりの粋な計らいと考察されている。
母を亡くした後、祇園藤次一味に苦戦する武蔵の助っ人として加勢した。