経歴
本名は福薗好文。1963年2月2日生まれ。
横綱北勝海や双葉黒らと同世代の「花のサンパチ組」の一人(但し寺尾は早生まれのため学年は一つ上である)。
現役時代
元関脇鶴ヶ嶺の三男。長兄に元十両の鶴嶺山、次兄に元関脇逆鉾(元井筒親方)がいる相撲一家に生まれ、1979年に二人の兄と同じく父が親方である井筒部屋へと入門する。
「寺尾」の四股名は入門前に亡くなった母親の旧姓で、1984年7月場所で関取になった際に「源氏山」の四股名に改めたが、その一場所のみで次の場所からは寺尾に戻している。
下積み時代には夜のちゃんこを口からはみ出そうになるほど食べてから食べ物が胃から腸に下りるまで壁に寄りかかり、胃が落ち着いた明け方から朝稽古までの数時間だけ寝るという生活を5年も続けた。このような無茶が心臓に負担を掛け、後の若死にに繋がったことは想像に難くない。
1985年3月場所にて新入幕、以後は関取として長く活躍し2001年に38歳で再入幕し2002年9月場所で引退するまで関取在位110場所。この記録は歴代3位にあたり幕内在位93場所は歴代4位となる。最高位は関脇、殊勲賞3回、敢闘賞3回、技能賞1回を受賞し金星は通算7個挙げた。
1999年11月場所では横綱の武蔵丸に勝ち、平成以降では最年長金星(36歳9か月)を獲得している(後年に大善が更新)。
魁皇とは2勝7敗、武蔵丸とは3勝14敗、曙とは3勝14敗、貴乃花とは6勝22敗、琴錦とは9勝20敗。
引退後
現役を引退した後は年寄・錣山を襲名(=錣山親方)し、井筒部屋の部屋付き親方を経て2004年に錣山部屋を創設、元小結豊真将(現在の立田川親方)や関脇阿炎らを輩出した。
元々不整脈など心臓の持病持ちで晩年は入退院を繰り返していたが、2023年12月17日、東京都内の病院で死去(60歳没)。現役時代は井筒部屋に在籍していた「井筒3兄弟」全員が鬼籍入りとなった。
余談
現役中の1989年には、自身の名を冠したファミコンソフト『寺尾のどすこい大相撲』が発売された。