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尾崎秀実

おざきほつみ

朝日新聞記者。評論家。政治ジャーナリスト。ソ連のスパイ。共産主義者。

概要編集

1901年(明治34年)4月29日、東京都芝区(現在の港区)生まれ。その後日本統治下であった台湾に移り中学校までそこで暮らしている、父親は報知新聞(現在のスポーツ報知であるが、スポーツ関連以外は読売新聞へ吸収されている)の記者で、台北第一中学校、第一高等学校(旧制一高)、東京帝国大学法学部を経て1926年に朝日新聞に入社。


上海へ転勤になった際、中国共産党アメリカ共産党と交流を持ったとされ、共産主義者でアメリカのジャーナリストであったアグネス・スメドレーの諜報活動に協力している。帰国後、宮城与徳を介してリヒャルト・ゾルゲを紹介される。ゾルゲから諜報活動の協力を依頼され、尾崎もこれを快諾。アグネス・スメドレーと共に「ゾルゲ諜報団」を結成し、ソ連のスパイ活動を本格化させる。尾崎は西園寺公望元首相の孫である西園寺公一と接近。公一は旧公家の人間でありながら共産主義運動に関心を持っており、尾崎と意気投合し自身のコネクションを通じて日本国内の情報を与えていた。また、1937年には知人の秘書官を通じて当時の近衛文麿首相にも接近し、内閣嘱託になるなど政治にも介入するようになった。


この時期ヨーロッパではナチスドイツが強力な国家体制を築き、ソ連はドイツと不可侵条約を結んでいたもののナチスの動向からいずれ戦争になることは避けられないだろうと考えていた。しかしナチスドイツは日本と同盟関係を結んでおり、もしドイツと戦争になった場合日本がシベリアへ侵攻する可能性があり、シベリアへ一定の戦力を保持しなければいけなかった。このシベリアの戦力をドイツ側へ向けたいため、ソ連の意向を汲んだ尾崎は目を逸らさせるために朝日新聞中央公論で対中政策、さらに南進政策を推進する論説を書いて煽動した。この煽動活動は軍部も動かし、日中戦争の内陸部侵攻による長期化やABCD包囲網における石油確保のためマレーシア側へ転進させることに成功し(当時石油はマレーシアで採掘されており、中国大慶やシベリアで石油が発見されるのは戦後になってからである)、同時にソ連と中立条約を締結したことで日本がシベリアへ進むリスクがなくなり、ソ連はドイツ戦へ戦力を集中させ、独ソ戦勝利に繋がることになった。


しかし尾崎やソルゲの動向を不審に思った特高は関係者の内偵を行ない、1941年6月に関係者の逮捕拷問により尾崎がソ連のスパイであったことが発覚。同年10月に国防保安法ならびに治安維持法違反で尾崎は逮捕(その直後にゾルゲも逮捕)され、1944年4月に死刑が確定。ロシア革命記念日である11月7日にゾルゲと共に死刑が執行された。享年43。

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共産主義者 スパイ ソ連 近衛文麿 リヒャルト・ゾルゲ 朝日新聞

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