山本寛斎
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やまもとかんさい
山本寛斎は日本のデザイナー、イベントプロデューサー。イラストにあるデヴィッド・ボウイの衣装を担当した事で有名。
1944年2月8日生まれで神奈川県横浜市出身。
寛斎スーパースタジオ会長、タレントとして太田プロダクション所属。
三人兄弟の長男として生まれ、弟の一人は寛斎スーパースタジオの副社長。
娘は女優の山本未來。元娘婿(未來の元夫)は俳優の椎名桔平で、二人の間に息子がいる。
幼少期に離婚、寛斎ら三人兄弟は父方に引き取られるが、父親に何度も育児放棄され、点々と10数回の転校を繰り返えした。
その後父方の祖母がいた岐阜市に落ち着く。
父が洋服縫製業を始めるとそれを手伝い、中学の時には友人から制服の改造を頼まれ手掛けるようになった。また中学では応援団長としても活動する。
岐阜県立岐阜工業高等学校に進学の際、建築科に行きたかったがなく、土木建築科に通った。
そして日本大学文理学部英文科に進学(のちに中退)、上京して横浜で洋裁教室をしていた実母と再会し、ここで装苑賞の存在を知り応募し、第21回装苑賞(1967)受賞。
その後コシノジュンコ、細野久などのデザイナーの下で働いた。
1971年に独立、同年歌舞伎の要素を取り入れたファッションショーをロンドンで行う。ちなみにロンドンで日本人がファッションショーを行ったのも初であった。
その後、デヴィッド・ボウイのアルバム「ジギー・スターダスト」「アラジン・セイン」両ツアーのステージ衣装を担当。ファッションショーは日本だけでなくパリやモスクワでも行われ、成功を収める。
ファッションデザイナーの印象が強いが、京成電鉄スカイライナーの車両とロゴのデザインの担当やテレビやCM等でも活躍していた。
2020年7月21日、急性骨髄性白血病により死去。
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