生没年 1831(天保2)年~1884(明治17)年
官位 従二位 権大納言
尾張徳川家連枝(分家)の尾張高須藩主・松平義建の五男。異母兄に尾張徳川家を相続した徳川慶勝、異母弟に陸奥会津藩主・松平容保、伊勢桑名藩主・松平定敬がいる。
経歴
兄たちが夭折したり他家へ養子入りしていたため、1850(嘉永3)年に高須藩主となり、諱を義比(よしちか)とする。
1858(安政5)年の安政の大獄で慶勝が謹慎処分となり尾張藩主となり、諱を茂徳(もちなが)と改める。1862(文久2)年に慶勝の謹慎が解かれた後は、慶勝・茂徳の二頭体制となったが、慶勝には尊皇派が、茂徳には佐幕派の支持が集まり対立関係となる。
1863(文久3)年に隠居し尾張藩主は慶勝の子の義宜が継いだ。1865(慶応元)年、14代将軍・徳川家茂の側近となり幕政に加わる。また同年諱を茂栄に改める。
1866(慶応2)年、一橋慶喜が15代将軍に就任したことにより、代わって一橋徳川家当主となる。1868(慶応4)年の戊辰戦争では徳川家の救済に動いた。