念流の始祖とされる。
没年は不詳だが、南北朝時代から室町時代にかけて記録が残る。
1350年、新田義貞に仕えた相馬左衛門尉忠重の子として奥州相馬(福島県南相馬市)に生まれたが、5歳の時に父が殺され、乳母に匿われて武州今宿に隠棲した。
7歳で遊行上人に弟子入りして僧侶となり、念阿弥と名付けられる。
父の敵討ちのため剣の修行を積み、鞍馬山や鎌倉で修行し、1368年、安楽寺(福岡県)での修行中、剣の奥義を感得した。
還俗して相馬四郎義元と名乗り、帰郷して敵討ちを果たす。
その後は再び僧侶となって慈恩と名乗り、諸国を巡って剣法を教えた。
1408年、信州波合村(長野県阿智村浪合)に長福寺を建立。念大和尚と称し、ここで没した。